ゆるやか下降~のっそり上昇~

13年間引きこもりの場面緘黙当事者が日常をつづります。

県立美術館

 

f:id:yayoiin:20160727021536j:plain

 

藤田嗣治展に行って参りました。

 

10年前、生誕120周年の頃にも京都で展覧会が開かれており、

絶対に行きたいと思っていたものの、行けず、あれから早10年。

 

10年経ってようやく行けました。

まさか10年もかかるとはねー。10年先も、こんな感じとは。

やっぱり、「10年前に見れていたら・・・」とはどうしても思います。

仕方ないです。10年前の後悔を、今まで引きずりに引きずって生きて来たワケですからね。

 

 

 でも、久しぶりに展覧会を見て感動出来た気がします。

色々な習作や、猫や裸婦像(見たい絵があったんですけど、それは今回は展覧されておらず)があって、そして、戦争画

アッツ島玉砕」は、やはり凄まじかったです。

一生に一度は生で見たいと思っていたので、見られてよかったです。

 

 

f:id:yayoiin:20160727021358j:plain

 

 

左が10年前ので、右が今年のポスター。

 

また10年後。生きていたら、また会いに行きたいものです。

 

 

いっちねーん

 

何だか昨日でブログ一周年だったみたいです。

えぇ、全く気付いていませんでした。はてなの方から、「一周年ですね」メールが来てたのを見て、それで思い出しました次第であります。

 

昨日はですね、ぶつ森(地味に村長をやっています…)で、真面目系キュートな小リス、ララミーさんのお誕生日だったので、久しぶりに3DSを広げ、祝っていたところです。

ララミーさんおめでとう。笑顔で毒づく貴女が村長は大好きです(にっこり)

 

 

そんなワケで、もう1年です。

私は、時間の感覚が年々分からなくなっていきます。

実感が無いのです。今が「2016年なのだなぁ」という、自覚。

本当にそんなに時間が経っている気が一切、全くしないので。

 

私は、今も、ずっと、

あの2004年の時間を生き続けているような気が、ずっと、ずっとします。

んなわきゃ無いんですけど、この感覚は多分、これからも一生変わらない気がしています。だってほんとにずっとそうなんだもの。この12年間、ずっと。

 

 

時間の実感の無い私は、今も、日々を大切に慈しむ事は出来ないままです。

一年と聞いて、「短い」「あっという間」「とるに足らない時間」という印象ばかりが浮かび上がります。

 

 

「自分の為だけに使える一年って、結構長い」

 

いつか私もそう言っていたのに、何だかもう、分からない事ばかりです。

 

Say cheese

f:id:yayoiin:20160605003756j:plain

 

1、2、3日と、2泊3日で旅行に行っていました。

前回の長崎と同じく、ツアーにて(身内と)

行く前から分かってましたが、やはり2泊3日は、なっがい。きっつい。

小学校時代の自然学校(兵庫県だけでの呼び方。他府県は林間学校だそう)を思い出し、あの頃の辛さ、苦しみを思い出す事で何とか乗り切れました。今の辛さを、昔の辛さで乗り越えるのです。蚊に刺された時にはそこを思いっきり抓るんだ!(@RAD)

 

 

観光、良かったんです。実に充実した旅でした。

それは良かったんです。でもそれ以上に辛かった。

「辛い」と思うと、もう駄目だった。

あんなに憧れた町にようやく来る事が出来たのに、私の心は波打ちませんでした。

 

 

大まかに、辛かった事は3つあったので一応記しておきますね。

別に、誰も悪くはないのです。私の感じ方、自意識がひどいだけ・・・。

 

 

辛かった事①

~バスの運転手と添乗員のギスギスした関係を見せられる~

 

運転手がクソだった(一言)

 

別に運転が荒いだとか、そういう事ではない(やたらとガムを噛む人ではあったが)

添乗員の前ではヘラヘラしているのに、添乗員が席を外すと添乗員の悪口を言い出す。それを客に聞かせてくる。その上客からの同意も得ようとしていた(私以外の人にです)(その人は笑って同意していまして、それにも改めて絶望した)

席が一番前だったので、嫌でも悪意に塗れた会話が聞こえて来て死にたくなる。

その添乗員の人が太り気味の体型だった事から、その体型を揶揄するような事も言っていて、聞いていて私はものすごい嫌な気分になる。胃を直接ブン殴られてるみたいな感じ。

私は他人への悪意を視界に入れたり耳にしたりすると本当に、本当にずっしりとしんどくなるので、本当にキツかった。私の見る限りでは、添乗員のお姉さんに非は無く、仕事はきちんとされていた。彼女の居ない前で(客前で)彼女の悪口をぐちぐちと笑顔で垂れ流す運転手がクソに思えて仕方なかった。バスの走行中、ずっと運転手の後頭部を睨み付ける私。

これに関しては、辛かったと言うよりは、怒りの方が大きかったですね。最後にアンケート用紙を配られたのでその旨を書いてやろうかと思いましたが、そのアンケートは父上が答えたのでした。やり場のない怒り。

 

 

辛かった事②

~地獄のホタル観賞~

 

2日目の夜に、ホテルの近くに蛍が見られる場所があるという事で、ツアー客たちと共にホテルのバスに乗り、見に行ったのです。

私は、「蛍なんかわざわざ見んでも・・・」という感じでした(地元にも居るから)が、行こうと誘われたので、まぁ行くかと見に行きました。

それは見事な光景が広がっておりました。今まで見て来た蛍の光景とはまるで違う。

何千匹、何万匹もの蛍が飛び回る光の光景は圧巻の一言で、本当に見事なものでした。

 

それは良かったのです。でもキツかった。

車中で、人々が「わぁー」「綺麗」「すごい」と口ぐちに感想を述べ、見知らぬ者同士が「ほんと綺麗ですねー」「見れてよかった」などと言い合っている光景に、私はひっそりと絶望してました。私の前の座席では母親が隣の名も知らぬ人と楽しそうに何事か話していて(もうその頃になると、私の脳は人の声を拾い、その言葉を理解するという事を放棄してました)(私はよく自分を護る為に意図的にそうしてます)その様子を見ていると、じわりと涙が滲みました。こんな事、今までも私の人生には何度も何度もあったはずです。目の前で交わされている平和な会話に、私一人だけが交れない。交ざれない。

それでも変わらず、今でも改めてまた絶望するし、こうして涙が出たりするんだなと、車に揺られ、夢のような光景を見ながら他人事のように感じていました。

 

 

蛍を見て、「美しい」と思う心よりも先に、その何倍もの強さで人と交われない事を「寂しい」「苦しい」と感じている自分が、私は寂しくて寂しくてなりませんでした。

 

 

辛かった事③

~心優しい外国人観光客に気を遣わせる~

 

今回、この旅で一番死にたくなった瞬間はコレでしたね。

私は写真(写るのが)大嫌い人間で、集合写真の度に逃げ回っていたような子供だったのですが、大人になった今でもそこは改善されず。

今回も普通に逃げ回っていたのですが、ついに捕まり、有名な神社(どことは言いません)の鳥居をバックに連れ合いと共に写真に収められる事に。嫌だ。すんげー逃げたい。

 

どうでも良い事なのでバラしますが、私は写真に写る際、ろくに笑えた記憶がありません。

昔の写真のどれを見ても、全部がこちらを睨みつけているか、もしくは、この世の終わりみたいなツラした絶望しきった表情の写真しか無くて、自分で見ると笑えます。どんだけ嫌だったんだよ。映りもクソも無いです。

 

久々の写真でしたが、今回もレンズに笑顔を向ける事は出来ず、真顔で向き合っていました。すると、鳥居の近くに居た一人の外国人観光客(でかいリュックを背負った白人男性)が、私に向かいしきりに何か言っていました。よく聞くと、それは「say cheese!」と言っているようなのでした(しばらく分からなかった)

 

笑えよと。彼は笑顔で幾度も、ジェスチャーも交え、私にそう言っていました。

 

 

私、それ見ていよいよ本当に笑えなかった(固まる)

はるばる日本まで観光に来てくれた人に、私は一体何をさせているのか・・・。

それを思うと、申し訳なさから絶望的な気分に陥り、私は泣きたくなりました。

結局私は笑う事なくそのまま写真撮影は終わり、その男性の横を逃げるように立ち去ったのが、今回の旅のハイライト。一番記憶に残っている出来事であります。

 

 

 

ツアー旅行は、自分で計画を考えたり練らなくて良いからまぁ楽ですけど、緘黙症当事者にはおススメしませんね(当たり前か?)

というか、私は自分一人で行くんだったら、絶対ツアーは利用しません。辛くなるのが分かっているからね。でも今回はどうしても、ずっと行きたかった場所だったから、親に頼んで(自腹を切り)連れてってもらったのです。一人旅でしたら、私は一人で勝手にバッと行きます。その方が楽ですんで。

 

一人で居る時の孤独と、人の中に居る時との孤独は、全く種類も、根深さも違うって言う事です。私は、人と居る時の方が寂しい。私はこの人達とは分かり合えない、何も共有出来ない。決してこの中に入る事は出来ないのだと感じる時が、私は、何よりも寂しい。

 

 

 

何か愚痴ばっかりですけど、一応、旅行記でした。

次回はまた、一人でぶらぶらと行こうと私は思いました。作文。。。

 

 

愚痴です

 

5月終わりますねこんばんは!!!!

 

 

 

やっぱりな!!!!!

 

知ってたけど、変わらず全く更新しませんでしたね!!

緘黙らしく、リアルでもネットでもだんまりです!!!

実生活でも何ら変化ありません!変わらずこもってます!!(一週間に一回外出したら良い程度)

 

昨日、寝る前に布団でアレコレ考えていたら、寂しいやら悲しいやらで一時間くらい泣いて、鼻詰まりを起こし(私は鼻炎持ちである)呼吸困難で死ぬかと思いました(死なない!)

今日は昼間、5年前、震災の頃に救いを求めるように聴き狂っていた、奥さんのインディーズ時代のベストアルバムを聴いていました。4曲目の「そんな気がした」

奥華子_そんな気がした by レオン・シュタイナー 音楽/動画 - ニコニコ動画

で涙腺が決壊し、またしても泣きました。昨日今日とずっと泣いてる。

 

 

この1カ月(と言うか、上半期と言うか)どんなんだったかと言うと、一言で言いますと病んでおります。

今までの人生で、何度も「落ちてるな」「もう上がれそうにない」と感じる事は何度となくありましたが、こんなにも日々「病んでるな~!」と感じた事はありませんでした。

それ位めり込んでおります。ひっそり静かに絶望してます♪

 

 

ピクシブで小説らしきものを書き始め、

1カ月 - ゆるやか下降~のっそり上昇~

早3か月。

完全に、自分の為だけに、自分の中の溜まりまくったネタを発散する為にと始めた事ですが、当初思っていた(予想していた)よりも多くの人に見て頂け、ありがたい事に評価やブクマなども少ないですがして頂けているようです。

「頂けているようです」とか言ってますが、私はそれを逐一把握しています。

シブに上げてから、10分、20分置きにしつこく自分の作品を見に行きます。それを数日続けます。

うさぎ(評価を頂けたり、おコメを頂けるとうさぎのアイコンが赤くなる)の変化を逐一見届けています。

評価を頂けると嬉しいです。私は今の所、運が良いのか、評価を頂ける場合は10点を頂けていて、例の、人の作品に執拗なまでに1点だけを入れる、1点厨には今の所巡り会っていません。しかし、ツイッターで尊敬する方がその被害(と言うのか)に合われていて、辛くて泣いたと書かれていたのを見て、なんて恐ろしい世界なのかと慄きました。私もアレやられたら多分泣く。しばらくめり込むだろうなと思います。

 

ピクシブを始めてから、今まで見ないようにと蓋をしてきた部分を私は開けて見てしまっているような気分です。

私が今まで、逃げに逃げて、「無かった事」としてきたものは、

自分の承認欲求です。

満たされない、満たされないとは思って来たものの、それに明確な理由づけをする事は、今に至るまで無かったのです。ずっと、見ないようにして来ていた。

承認欲求の厄介さはよく知っていました(その塊のような姉が居ます)

厄介なそれに正面から向き合うと、満たされない虚しさに、きっと私は潰されるだろうと思っていました。

 

自分の事ですから、それは正しかった。当たっていました。

今になって、それを実感しています。今までこんなに「辛い」と思う事無かったです。辛い事はありましたけど、それは瞬間瞬間で、眠りに就く瞬間まで抱える事は無かったけど、今のこの辛さは四六時中です。ネットに繋がっていない瞬間でも、あぁ辛い・・・と漠然と思う。何かもう、「思う」って感じでもないんですけども。常に頭に浮かんであるんで。

 

 

具体的に、ピクシブの何が辛いのかと言うと(書くと)

 

・評価、閲覧数、ブクマ数など、とにかく数字上で分かってしまう所。これに関しては自分の実力不足(クソみたいな文しか書けない)が分かっている為、死ぬほど辛いというワケでは無い。でもやっぱり、あまりにも低いと泣く。消したくなる(消さないけど)

 

 ・ありがたくも私の作品を気に入って、コメントをして下さる方も居るのですが、その方が自分以外のジャンルの方にも親しげにコメントを送ったり、ブクマしたり、仲良くされているところも見えてしまう所。ぶっちゃけこれが一番キツい。この感じ(友達の友達に嫉妬する)はめちゃくちゃ久しぶりで、中学の時以来。実に10年ぶりの苦しみを今、味わっています。というかその方、別に友達ではない(なれていない)し、昔のそれも友達じゃないんですけど(私が友達と思っていただけ)(より辛い)

 

 

そういうワケで、

例の「同人やめました」ブログは読んで泣きました。

昔だったら、特に何も思わなかったかも知れません。

同人活動も二次創作もしておりませんでしたから。

でも、今はひっそりとでも一応二次創作をして、それをネットに上げている身ですから。もう本当、あのブログを書かれた方の気持ちは痛いほどに分かります。私はイベントは未経験なのでその点はよく分かりませんが、ピクシブツイッターの下りは、「そう、そう。そうだよね・・・!」と言う感じで、涙しながら読みました。

 

最近、スマホで「人付き合い 絶望」「ピクシブ 辛い」「ツイッター 病む」「自分より優れている人 嫉妬」とかで検索かけまくってます。ヤバいな、と思います。前まではこんな、わざわざ自分からこういった事で検索かけたりする事は無かったんですけど。

 

何が辛いって、それで検索かけても今の所、何の参考にもならないところです。全く。当たり障りのない正論しか載ってない・・・(当たり前ですが)

 

 

属すジャンルが無くて、新しい作品も何も好きになれなくて、昔に居たジャンルにももう戻れなくて。どこにも行く場所が無く、二次元を愛好する腐女子のはしくれとしては、とても辛い時期が3年近く続きました。

その時期を経て、やっと帰って来られたジャンルですから。大事にしたいんですよ。嫌いたくないです。

今の所、まだやめるつもりは無いですけど、でもとにかく、ここに居る事が辛い・・・。

ジャンルの方々と軽快なコミュニケ―ションが取れない事、他人への嫉妬が止まらない事、評価と点数を気にするあまり、自分の作品に自信が持てない事がとてつもなく辛いです。

 

 

息をするように、「辛い」「苦しい」とのたまってます。

これは、実際、口に出して言ってます。一日で口に出した言葉は、それだけというのがよくあります。

良くないな、と思いますが、出した方が良いような気もします。どうせ自分しか聞くものは居ないしね。「クソが」ともよく言います(独り言で)これは昔からですけど。

 

 

病んでる場合じゃないんですけど。私もまさか、この期に及んで(12年も引きこもっといて!)更に退行するとは思いませんでした。何だ。呪われてんのか。

この12年で今が一番ヒドい気がします。ずっとやりたかった事(二次創作)が出来ているのに、何で今更病んでいるんだろう。

何故にここまで下がっているのか。答えが無い。

 

 

始めたら救われると思っていました。

何か変わると思っていました。

現実は何をやっても退行するばかりです。

人と新しく関わると、自分に出来ない事をまた新たに見つけ、

それに改めて「私には無理だ」と絶望します。

行きたい場所が、目に見えているゴールがあるのに、そこに辿り着く前にもう諦めてしまいます。いつまでも足踏みをしています。

他人と当たり前のように仲良くする事が、やはり私には出来ません。人(健常者)を見るとと死にたくなるばかりです。

 

 

明日はどこにあるのでしょうか。

 

5月は場面緘黙症啓発月間です。

 

私は場面緘黙の当事者なワケで、その話をしようとこのブログを立ち上げようと至ったワケですが、今の所、全く書けておりませんね。すみません(自分に言っている)

私はネットですら緘黙気質なのか・・・と思うとひたすらヘコむのですが、まぁ仕方ない。自分に書ける範囲で、出来る範囲の事をやろうと思います。

ので、これからもちょくちょく、思い至ったら書くというスタイルでいこうと思っています。思わなかったら、何も書けない・・。

 

私個人の緘黙の症状の度合いと言うか、詳しい諸症状についてですが、大体以下の通りです。

 

・挨拶が出来ない(これがまず第一にして最大の関門。分厚い壁)

・店員との最低限のやり取り(「これ下さい」「袋いりません」等)は出来ますが、それ以上の会話(はい、いいえ以外で答えられないような質問の受け答えなど)は出来ません。

・身内以外との会話は一切出来ません(親戚、ご近所、オール無理)

・人の目が見れない(これは緘黙と言うより視線恐怖の症状ですが)

・極度の緊張状態(人から気軽に話しかけられる等)に陥ると、顔から表情が消え、身体が固まる。これを緘動状態と言う。

 

・・・大体こんな感じです。

やはり皆さん、そういうケースが多いようですが、私も昔の方が緘黙の状態はひどかったですね。小学生の時がピークでした。学校で、発表やスピーチ(はかろうじて、何とかこなしておりました)以外の時間では、一度も口を開いた記憶がありません。その頃が最も緘黙の症状は重かったです。そして、周囲の当たりもキツかった気がする。私の親、特に母親は立派な毒親(兄弟間で優劣をつけ、片方を可愛がり、もう片方を差別するタイプの)だったので、母親からは褒められまくって育ったのです(大問題です)が、狭い家の世界の中で地道に育んでいた自尊心も、外に出てみたら脆いもので、どれだけ親に認められようと褒められようと、学校や世間ではいとも容易くへし折られていた気がします。別に周囲が極悪人ばかりだったと言う事もありませんが、緘黙に対する理解は全く無かったと思われます。

私も、自分の「家では話せるのに、人前に出ると喋れなくなるやつ」に名前があるなんて思いもしませんでした。

私も親も、誰もが「単なる人見知り」「ちょっと内気なだけ」で片付けていたのです。それが緘黙における最大の問題点であると多くの人が言われていますが、私も当事者として、強くそう思います。

 

私は話す事が、嫌なワケでも、恥ずかしいワケでも、下らないと思っていたワケでもありません。ただ、ただ、声が出て来なかっただけなのです。口が回らなかっただけなのです。言葉を知らないワケでもありませんでした。私は人前で話せない上に緘動の症状もあったので(今は多少改善されました)、人から話しかけられると、よく無表情で固まっていました。周囲から見ればそれは「何で人が話しかけてるのに、何も言わずに突っ立ってるの?」と言う感じだったのでしょう。その事で人からはよく怒られました。その事を申し訳なく思いつつも、それを伝える術は無く、一人、また一人と自分から人が離れていく・・・。そういう事が、学生の間は繰り返し起こり続けていた気がします。

 

今は、その頃に比べたら大分改善されてる気はします。店員と話せるようになった事が相当大きい気がします。ですがやはり会話は出来ません。挨拶されても返せませんし、緘黙以外にも、視線恐怖や対人恐怖、色々あります。発達障害の診断も一応、されています。そういうワケで療育手帳も今現在取得しています。

 

緘黙について、詳しい説明は私がするまでもなく(逃)、既に色々な方々が詳しく説明して下さっているので、以下にリンクを張っておきます。

5月は緘黙の啓発月間です。普段全く緘黙の話を出来ないでいるので、今月は私も色々と出来たらな、と思っています。自分の話をしたいのです。聞いてもらえると嬉しいです。

 

note.chiebukuro.yahoo.co.jp

 

 

シロノワール

f:id:yayoiin:20160425074608j:plain

 

10年前の今日は私が初めてのブログを作った日です。

当時中学3年生。不登校児だった私は、自分を変えようと必死でした。毎日毎日焦っていて、今より何百倍も考え、想い、思考していた日々。

そんな中、その滾る想い、燻る想いをどこかに吐き出したい。言葉にして、まとめてみたい、晒したい!誰かに自分の能力を認められたい!!と言う切実な、腹の底から湧き上がる欲求、渇望の元、急かされるようにブログを作りました。

当時家にはまだパソコンが無かったので、ブログは毎回、いつもネットカフェまで行って書いてました(だから毎回すんげー長いのです)(文がギッチギチ)(そしてイタい)

 

あの日興奮と少しの緊張の中、ネットカフェに足を踏み入れた事は一生忘れません。ここを、私の墓場にしようと、本気で考えていました。

 

 

色々な思いがありました。

銀魂が好きで、夢があって。

将来に対し、不安より期待の方が大きかった。

やりたい事があって、なりたいものがあって、

目指すべき道が見えていて、それなのに足踏みをしていて。

自分の実力以上のものをいつも求め、その度に折れ、それでも根拠の無い自信を一人抱き、自分を信じていた日々。

あの頃はまだ自分が緘黙で在る事は知らなかったのです。緘黙と言う言葉自体、私はずっと知らなかった。知ったのは、ほんの4年前の話です。

緘黙を知らず、自分の症状を具体的に説明する事も出来ず、該当する名前も無く、全ての不都合、不得意である事を、「頑張ればどうにかなる」と信じていた日々。

あれは、知らないからこその強みであったな、と今思います。

あの頃にもし、緘黙について少しでも何か知っていたなら、一体どうなっていただろう・・・とも思うんですが、でも、まぁ、全てこれで良かったのかな、とぼんやり思います。全て、なるようにしかならなかったですから。

私は今でも何にも改善されていませんし、

ちゃんと生きられてはいませんが

這うように、何とか今も、生存しています。この場所で。

 

 

もがきまくってた日々から10年。

私は今でも、あの頃の自分の文章が一番好き。

一番痛々しいけど、一番「自分だなぁ」って思えるから。

私は今でも、迷ったら、開くのははじまりのページです。

 

 

 

14歳から19歳まで。

5年間の私の軌跡。お暇なら見てよね。愛を込めて。

 

yayoiin.exblog.jp

じゅうねん

f:id:yayoiin:20160409235930j:plain

 

10年前に、知る人ぞ知る(?)雑誌ファンロードに載せて頂いたものです。

よくこんな文章載せてくれたなって、当時も思ってましたが、今も改めてそう思います(笑)

自殺する気だったんですよね、当時は。

 

もう10年も経ってしまいました。