ゆるやか下降~のっそり上昇~

ひきこもりだけど映画館に入り浸ってる女。場面緘黙当事者。フェミズム勉強中。

一周忌

今日は法事だった。

父方の祖母の一周忌なのだ。

1年前に祖母は亡くなった。

もう一年が過ぎ去ったのだ。

光の速さで。

 

家の話をする。

私の母は、所謂「毒親」というやつだけど、

祖母はもっっっっと凄まじく、

毒祖母というやつだった。

男尊女卑・差別意識が凄まじく、

人種差別、障害差別、部落差別、

ありとあらゆるヘイトを日々まき散らしているような人だった。

 

多分、小学生くらいの頃からだったと思うけど、

私が言う事を聞かなかったり、何か悪い態度(自分にとってのね)を取る度に、

朝鮮人」「同和」「キ〇ガイ」と怒りながら、

時には笑いながら罵ってきた。

私はその頃まだ意味なんか分かってないけど、

とにかく、使っちゃいけない(使わない方が良い)言葉を使い、

特定の何かに属する人を叩き、心の底から見下しているんだと言う事だけはよく分かったのだった。

 

母の事も、よく孫ら(私と姉)の前で罵り、呪っていた。

母の家は昔懐かしい平屋で、裕福な家ではなかったから、

祖母はそれにも、いつまでもいつまでも文句をつけていた。

その土地の事を、良くない、自分で考え出した蔑称で呼び、

私にもそう呼ぶ事を強要してきたが、

私は最後までその言葉は使わなかった。

 

 

本当にクソだったなと思う。

長じて、意味が分かるようになってからは(それ以前からもだが)

心の底から軽蔑したし、疑問だったし、

 それ(差別発言)以外で、他にどれだけ優れた部分があっても、

私が祖母を認める事は最後まで無かったし、今も無い。

忌まわしき血。

遺影の写真にすら何やらムカついて、睨み返したりする。

 

 

ありとあらゆるヘイトがあった。

投げつけられた石を、投げ返す事は出来なかった。

それは相手が老人だから、紛れもなく祖母だから、

声を上げたって潰されて来たし、

それでもあの「思想」に迎合する事だけは拒んで来て、

それが唯一無二の私のアレに対する反抗であったと言える。

「お前の言ってる事なんか私は絶対認めない」と、

「私は貴女を軽蔑する」と

言った事は一度も無いけど(言ったら倍の強さでキレ返してくる)

その「言わない」事こそが私にとって強みだった(と思っていた)

こいつと同じ所にまでは落ちない、という、

小学生の頃の私の誓いであった。

 

 

・・・まぁそれ以前に緘黙なんですけどねー・・・(・・・)

その事でも散々祖母にはキレられましたね!!!!

私は場面緘黙らしく(?)家では軽妙に喋る子供でしたが、

祖母相手には家の中でも緘黙発動してて、

話しかけても私が返事しないもんだから、

「つ〇ぼ!」をひたすら連呼してくるとかねw

本当にクソですね!!改めてクソだ!!!!!

物事が自分の思う通りに運ばないとそれはもう怒る人でした。

自分が敬われて当然、と言って憚らないところも嫌でしたし、

毎日何かしらは絡んできて、風呂にまで乗り込んできて、

それを全て「心配だから」で片付けようとするのが、もう本当・・・。

思い出すだけで、今でも疲れる。

すごい人の気力を奪うのが上手な人でした。

 

 

そんな祖母の一周忌。

本当に、「死なないんじゃ・・・」と思い続けてきた人の死は、

今でも現実感が無く、

でももう「居ない事」が当たり前になっていて、

奴が居た頃、一体どんな生活していたんだ?と疑問に感じたりします。

思い出せない中で、引っ張り出して、書いてる。。。

 

 

毒は連鎖します。

祖母の毒は母に流れ、

母の毒は姉(母親からの直接的な被害に合ってきたのは、私ではなく姉なので)へと流れ、

姉の毒は私へと・・・。

脈々と受け継がれてきたものを、ここで断ち切らなくては、と言う思いは昔から強かった気がします。というか、そうです。

私は最初(物心つく頃)から結婚したいという意欲が全く無く、

むしろしたくない、絶対しないと誓っていて、

それは何かにつけ祖母に叩かれる母の姿を見ていたからだし、

それをそのまま娘(姉)にぶつける姿を見ていたからでした。

子供産むくらいだったら、死んだ方がマシだ、と、

昔本気で思っていました(今でも、少し)

 

 

あぁ・・・まとまらないな。

また、ちゃんと書きます。書きたい(希望)