ゆるやか下降~のっそり上昇~

ひきこもりだけど映画館に入り浸ってる女。場面緘黙当事者。フェミズム勉強中。

昔の自分にキレた話

 

2007年に書いていた当時の自分のブログを見る。

ある日の記事。「差別するつもりはないけれど~」から始まる文章があり、読むと、その後思いっきり特定の人種、民族に対する純然たる差別意識駄々洩れの言葉が続き、それを読んでいる内に私の口からは自然と「死ね」という言葉が発されていた。

これを書いていたのは紛れもなく、16歳の時の自分。

「16の時の自分、死ね!」である。

 

 

白状する。私は元、ネトウヨである。

自分をそう自覚していたのは多分2009~2011くらいの期間の事だけれど、本当はそれ以前からそれに近い思想は抱いていたし、傾向はあったんだろうなと今は思う。

私は元々日本史が好きで、唯一の得意科目でもあった(他が壊滅的)

日本語が好きで、日本文化が好きで、日本は良い国だと信じて疑わなかった。まだ社会全体がここまで右傾化していなかった頃の話だ。テレビをつければ「日本すごい!」番組が流される事もなかった時代。それなのに、私は立派にあの思想に染まっていってしまった。10代の頃、ネットは私にとってあまりにも身近で、世界の全てのような存在だった。

 

 

王谷先生のこれ

gendai.ismedia.jp

は、本当に自分の話かと思い、うんうん頷きながら読んだ。

本当は、共感出来ない方が良いんだろうな、と思いながら。

 

 

 あのころ、特定の属性に属する人たちに対し、偏見丸出しの差別的な言動を重ねながら、それでも最初に「差別的な意図はない」と付けてさえいれば、それでチャラになる、と私は愚かにも考えていた。それ以前の問題で、多分本当にそれが差別だとも分かっていなかったと思う。当時の言葉からは、無知で無理解で、甘ったれたその姿勢が見て取れる。あまりにも無責任で、暴力的なそれ。私は16歳の頃、「差別するつもりはない」と言いながら堂々と他人を差別しているような人間だった。

 

 

私はその頃の事、ずっと、ずっと恥じてる。

悔いて、一生忘れない、と心に決めてる。

本当は忘れたいし、消し去りたい過去だ。でもそうしない、と決めている。

私は今現在引きこもりであり無職であり、(いちおう)障害者であり腐女子であり年金受給者なワケだけれど、私はじっさいそのうちのどれも本当はたいして恥じていない(誇りにも思っていないけど)

私が恥じているのは、ただただ、自分の過去の所業。

自分の頭で考える事を放棄して、ただ周りの言う事(ネットの発言)に流され、架空の敵を作り上げ、それを叩く事により一時の快感と安らぎとを得ていた、その事実だ。

あれは私の加害。私の暴力。

それを忘れないためにあの頃のブログを私は消さない。

たまに見返しては、16歳の自分の書いていた文章に「クソが」と呻いたり、している。

 

自分の中の差別心(の強さ)と向き合う事。誰かを容易く憎むように差し向けてくる社会に抗い、「NO」を突き付ける事。それは大変な事であるけれど、私はもう二度と「差別するつもりはない」などとほざきながら、堂々と他人を差別するような人間に戻る気はない。

私が自分に対し、課している事はそれだけ。

私は残念ながら非常に差別意識の高い(強い)人間である。自分でもうそれを認めている(れっきとした証拠が残っているので、認めざるを得ない…)

だからこそ常にアンテナを張り、必要以上に意識を高く持ち続ける事でしか、自分のそれを食い止める事は出来ない。その中のひとつに「死んでも差別用語を使わない」がある。よく、差別用語を使いさえしなければ、差別していないという事になるのか?とか議論されている(?)けれど、これは私にはめちゃくちゃ重要な事だ。とりあえず、最低でも、差別用語を使わないというのは、自分の中の差別意識を食い止める事への第一歩であり、同時に最後の砦でもある。このラインを越えてはいけないという、示しである。

 

 

 自分の加害を忘れない事。そして反省し続ける事。

私の正義は、それだけだ。