ゆるやか下降~のっそり上昇~

ひきこもりだが何故か映画館に入り浸っている女。場面緘黙など。最近はMAZZELに狂っています。

2025映画ベスト10

 

今更!!!!????すぎるけど、書く気になったから書くんだよ!!!!(己に言っています)

 

……ホンマはサボってた5年分書こうかな~とも思ってたけど、ベスト10が選出出来なかった年も多いので割愛。ただ毎年変わらず50~60前後は劇場まで見に行ってましたよ。今年はMAZZELにかまけてたり、2月3月に父親の手術と入院があったりで、全然行けてません。上半期が終わった今、劇場で見た本数は9本。なんと2月はいよいよ一本も見に行かなかった。行かずに、ず~~~っと家でMAZZELを見てた。下半期はどうなるだろうか。果たしてベストは出せるのか!?全ては未知だが、とりあえずはまぁ、昨年の分を…。

 

1位「ウィキッド ふたりの魔女」

昨年唯一2回見に行った作品。オズの魔法使いも普通に好きだし、劇団四季版が大阪に帰って来た時、喜び勇んで見に行ったぐらいには元々大好きな作品。何よりgleeのオタクなので、なんか魂がマッキンリー高校に飛んで、皆、元気かな…と思い返しながらずっと見ていた(自認マッキンリー校卒業生?)

主演二人の歌に芝居に、映画オリジナルの脚色も大変に良く、唯一の不満点は続編までの期間が長すぎる事!と思っていたが1年なんてモンは秒で過ぎ去り、今年続編も見に行きました、が……(前半に良い曲も名場面も多すぎる、というのは確実にございますな)(それでも、素晴らしかったし、今作られるべき意義!!とは思います)

 

2位「トワイライト・ウォリアーズ 決戦! 九龍城砦」

作品の良さとか、自分のブチ上げは元より、(この5年でファンになった)ぼる塾が全員沸いていたのが何よりも良かった。特に酒寄さんの熱狂っぷり、本作から始まった香港映画そのものへの傾倒。熱が見る間に広がり、高まり、ものすごいスピードで香港映画を履修し、映画仕事もしまくるようになっていった過程を見られたのが、とても良かった。人が沼に落ちていく過程を丁寧に見守れたので…。

トワウォもぼる塾も大好きですわ。私の推しは十二少くんでっす。ベリーキュート。

 

3位「落下の王国」

映画ファンが「死ぬまでに一度は見ろ」と言うてくるのに見られる方法が限られすぎてるおかげでハードルが高すぎる事でおなじみ。

やっと、初めて、それもスクリーンで見られてホ~~~ンマに嬉しかった!!!!

オタクが死ぬまでに一回はなんとしてでも見ろ、と言っていた理由が(そのおかげで大分期待のハードルが上がっていたが)よく分かり、数年ぶりに個人的オールタイムベスト10も更新しました✌

人が落下の王国を語る時、圧巻の映像美や衣装の素晴らしさの事ばかりを聞いていたから、ストーリー面には特に期待せずに行ったけど、何より物語としての魅力、素晴らしさがあった。

アレクサンドリアが大昔の自分すぎ(ぽっちゃり元気女児)るのと、衣装の異常な良さ、圧巻の映像美に加え、制作陣が心から創作の力、物語の力を信じているんだという事が伝わり、5万年ぶりに映画館で静かに涙した。

「TheFall」を「落下の王国」と訳したのも天才の所業だし、石岡瑛子は神で、創作は人を生かし、世界は広く美しく、人生は生きるに値する(のかも)

物語の力をもう一度信じさせてくれる快作にして傑作。

私も、これからも死ぬまで創作物を物語を愛して生きてゆこう、と思いました(作文)

 

 

4位「ファイナル・デッドブラッド」

「死のピタゴラスイッチ」として日本でも親しまれ、愛好されてきた「ファイナル・デスティネーション」シリーズの6作目。であるが、その内容よりも正直なところ、「敬愛するビニールタッキーさんが人生最後に見た映画」として、何より記憶に残っている一作。これから先もきっと、見返す度にその人生を思い出すのだろう。

やはり、どう考えてもビニールタッキーさんが最後に見るに相応しすぎる映画だと思うし、よく出来た話だよなぁと思う。トンチキ映画を愛して生きたビニタキさんには最適すぎる。私も景気よく人が死ぬ映画を見てから死にたいものだ、と思った。

 

私は2017年2月に「グッドナイトとビリーという、二人組のヤバい男たちが居る」という情報だけで、何の気なしに見に行った「マグニフィセント・セブン」に狂って映画沼に足を踏み入れた者なのですが、その頃からTwitterで映画情報を発信されているビニールタッキーさんのツイートを見ていて、見る映画の参考や、知識の勉強をさせてもらっていた。

映画への深い愛、何より本邦のともすれば神経を逆撫でされがちな奇妙で不可解な映画宣伝のあり方を「おもしろ映画宣伝」と名付け(大発明だと思う)面白がって楽しむ事で、人々にその魅力を伝えようと活動されていたその姿勢に感心しきりだし、尊敬していた。

この時、新文芸座のスクリーンで、実は私の真後ろの席で楽しい発声をされていた男性がビニールタッキーさんだったと知ったのは後になってからの話で。尊敬する人と、そんな近い距離で一瞬出会っていたんだなぁ。それは今でもずっと、人生の数少ない誇りのような、宝物のような時間です。

 

最近、久しブリにHulu(出たり入ったり…)に舞い戻ったら、数年前の自分がハイローを見すぎており、笑った(履歴、全部ハイロ〜(⁠•⁠ ⁠▽⁠ ⁠•⁠;⁠))
私が生きている中で唯一LDHくんに近付く瞬間。
史上最高の映像コンテンツ、HiGH&LOW~~~!!
その魅力を私に(そして、多くの人々に)教えてくれたのだって、やっぱりビニールタッキーさんだったのだから。その功績は本当に、本当に偉大だ。

ビニタキさん、私にハイローの魅力を教えてくれて本当にありがとう。

私を鬼邪校のOGにしてくれてありがとう(マッキンリー校OG、兼、鬼邪校OGより)

最近、ハイローの新作発表がされた時(今この世で一番明るいニュース!)まず真っ先にビニタキさんの事を思い出しました。それがこの先も一生変わらないであろう事が、私は嬉しいです。本当にお世話になりました。私にとっても、間違いなくこの先も一生変わらず尊敬し続ける映画人のひとりです。忘れません。

 

5位「スーパーマン」

私はジェームズ・ガンの事を心から好きだとはまだ思えていないんだけれど、今この時代に彼が何を残そうとし、誰に寄り添おうとしているのかだけはよく分かるし、そこは気が合う部分なので、スーパーマンとも無事に和解(モメてたんですか?)スーパーガールもその内見に行きます。クリプトちゃんは最高Dog。

 

6位「かたつむりのメモワール」

2025年最大の「自分映画」(大回り道人生なので…)

クレイアニメ&男女の双子大好き芸人なので楽しく見ました。優しく癒された。

 

 

7位「アイラライクムービーズ」

映画ファンはいっぺん見た方が良い、特有の痛ましさと苦々しさに包まれた一作。

失敗を重ねそれでも他人と繋がろうとする主人公の勇気と一歩を讃えたい。

 

 

8位「サンダーボルツ」

フローレンス・ピューが出ているという事。それ即ちセラピー要素があるという事です(私はミッドサマーでうっかりがっつり癒されてしまった側の人間なので)

つうワケで私はエレーナの事もどぅあ〜〜〜いすきです。本当、この世の誰より「妹」が似合うなぁ、おピュー……。

 

 

9位「ワン・バトル・アフター・アナザー」

私はあんまりPTA作品とは馴染みが無いってか、これと言って特に好きな作品も無い(全部は見れてません)んですけど、これは文句無しに面白かったし、既に5万回言われてる事だと思うけど終盤の道路シーンはやはり未だかつて見た事の無い映像で、まだ映画で撮ってなかったシーンってあったんだなぁ…と感服させられた一作。ドタバタディカプリオとバチイケベニチオ・デル・トロからしから得られない栄養というものがこの世にはあるのだ。

 

10位「羅小黒戦記2」

1作目見た時めちゃ好き〜〜〜ってなったので当然2も楽しく見ましたが、まぁ…1の時ほどの衝撃は……やっぱり私は風息が好きだったんだな…と思い返して苦しくなっちゃった。小黒は永遠にカワイイ。

 

 

………と、私の2025年はこんな感じです!!

上半期、ひたすらMAZZELに狂う日々の中。映画(をよう見る)生活始まって以来(コロナの時期以外では)初、月に1本も見に行かず、ネトフリで映画の1本、ドラマの1話も見ずに終わる月すらあった。

絶対、見てた方が良いのは分かってはいる。

一個に集中しすぎない方が良いってのは大前提で大正解として、今はMAZZELに全振りしたいという欲求というか、俺は今、今なんだよ!という限界桜木花道なので(?)

すっかり映画を見ている余裕が無くなってしまっていた。

 

日本の若者の洋画離れと言われ始めて久しい昨今、少なくとも私の世代(平成一桁ガチなんちゃら)ですらそうなんだから、今なんかもっとっしょ…と思うし、この先も更にそうなる未来しか無さそうだ(寂しいね)

私の洋画の入り口であるマグニフィセント・セブン(9年前だ)にはデンゼル・ワシントン、イーサン・ホーク、ヴィンセント・ドノフリオ、クリス・プラット(は当時は若手枠だったけど)などスター俳優が出まくっていたワケだけど、その頃の私が唯一知っていたのは韓流四天王の頃(2004年ですね)で認識が止まっているイ・ビョンホンのみだったというぐらいのレベルである(そっからものすごい勢いで坂を転げ落ち、三宮のTSUTAYAに通い詰め、あらゆるサブスクに加入し、出演者の過去作を見まくる生活を送っていました)(俺の2017年…)(最終的に何故かビョンさんのファンミにまで辿り着いていた)(なんで????)

 

 

洋画っつうのは間が空くと途端に見るのがムズくなります。

そもそも私は長年洋画を「字幕を追うのが怠い」という英語話者の如く傲慢な理由で見ていませんでしたから(アメリカ人が余程のシネフィル以外、英語圏以外の映画に親しまない理由が字幕を見る習慣が無い、って知った時は何とも言えない憤りというか、呆れというか)(そらあんたらの第一言語は公用語だもんね、という)そもそも見るのが得意な方では無い。

ただ興味、関心、愛のみで乗り切ってきていただけなので、それが薄く(無く)なってしまってはもう本当に駄目。それだけがエンジンだってのに……

いやまぁぼちぼちは見ていくと思うんだけど……(最低でも月1本くらいは見に行きなよ)(To:俺)

 

そこでありがたいのが(?)MAZZEL(や、BMSGの)メンバ〜が話してくれる映画やドラマの数々。彼らはまぜべやにおいて、その時々で見ているお気に入りの映画やドラマについて、大変面白可笑しく、愉快に語ってくれるので(笑)その魅力が伝わってくる語り口に、言っている内容を理解したい!私も共有したい!!という気持ちが生まれ、おかげで私は心置きなく(?)ネトフリで色々と(自分では選ばなかっただろうな、と感じる作品が多い)見られているのだ。

 

私は、毎回ジャンルが替わる度に元居た界隈の悪口を死ぬほど言い始める人間(最悪)なので、仮に元彼(が居たとして)に何一つ落ち度が無かったとしても、今彼(居ませんが)に筋を通す(?)為に悪口言いまくっていたんだろうな〜と思うので、なんか総じてずっとこういう感じ。

一個しか無理だし一人しか無理なので、二股は出来そうに無い(無くていんだけど)

そしていつだって今、今しか無いので、やっぱり一番強い感情の元で生きていたい。

一瞬のきらめきだけが全部だし

生きてる気がする、生きられるような気がする瞬間っていうのは、ただその中にしか無いのだから。

 

(※映画界隈の悪口はまだ言い出しておりません)(し、多分大丈夫な気はしてる)

(映画はジャンル、界隈ってより、文化、芸術の分野そのものだから……)

 

私は(真の)おばさんになれるのか

 

昨年10月に34歳になった。

その内の22年は家に潜伏しているので、人生の半分以上の時間がただここで無為に過ぎ去った。

私は2004年、中学一年の6月から不登校になり、引きこもり始めて、そこから実に22年ずぅっと家に居る(羽目になった)  

昔はずっと、2004年生まれの人間(お子の頃の芦田愛菜さん、鈴木福くんを筆頭に…)(BMSG的には、トムちんリュウキ、チカちゃん、モモカの世代だ)に非常に強くコンプレックスを刺激されていたし、「私が家で一人、死に続けている時間の中にこの子達の人生(のまるごと)があるんだなぁ…」とはそりゃ、どうしたって思うので

なるべく見たくないし、向き合いたくない…と避け続けて生きていた。

そっから何年も十何年も過ぎて

もう2004年生まれとかですらない、それ以下の子らが普通に成人したり、社会で活躍したりしている現実を見ると、別にもう傷付くとかもなく、ただもうそういうモンなんだと思って生きてる。思うように、している。

なんつったって、2009年生まれの子が(22時退勤だけど)大活躍、大躍進している時代を今、生きちゃっているのだから……(マヒマヒ……)

もう傷付いてはないけど、ちゃんと傷付けてる方が良かった気もずっとする。

本当、22年もよくやってるよね〜〜〜〜!!!???(自分が一番謎ですわ)

 

 

平成がレトロと称され始め久しい昨今(怖すぎ) 

どれだけ平成カルチャーがリバイバルブームになろうとも、時間が止まりすぎていて別に何にも懐かしくはない。当時のアイテムも現役バリバリで使用しているし、っていうか昭和の家具も家電もしぶとく生き残る実家に生息しているため、ほんとうになんも懐かしくはない。ただのリアルで、今!でしか無い。

私もいつかはすべてをちゃんと懐かしく感じたいと思って生きてはいるけど、、、(無理SO)

最近は、2006年に買った食器をようよう使い始めたりしていて

20年一体何をしていたのか?という話なのだがまぁ、よくある。

20年が経っている自覚も実感も一mmたりとも存在しない。

そして私は大変しつっっっこいので

大概の所持品をいつ、どこで、ナンボくらいで買ったのかを割と完璧に覚えており、地味にスゴい!ワケだけどそれも思い出だけで生きてるからそういう事になるのであって

ちゃんと社会で他人と生きていたら、日々の忙しさで忙殺されて普通に忘れていけたし

こんだけ過去に固執し続けて生きる事も無かったんだよなぁと思う。

 

 

近年、平成一桁ガチババァの響きの鮮烈さ、語感の良さには衝撃を受けたが、私には言えない。

おばさん自称も、自虐も出来ない。したくない。

自分の実年齢に対する自覚がいくらなんでも無さすぎる(22年家で外界と関わらずに生きてりゃそうなる)のと、はっきり、まだ自称したくない、自虐したくない、ネタとして扱いたくないという強烈な反発心がある。

MAZZELに狂う半年の間、自分より遥かに年下の若い生身の人間を推す事のリスキーさ、その複雑さをずっと考え続けている。

うっかりしっかりガチ恋(のようなもの)もしてしまい、日々罪悪感との戦いでもある。10代、20代の時に大人しくアイドルやアーティストにメロついてこなかった(一生男芸人に不満タラタラながら狂っていた人生)反動が今、来ている気がしてならない。めちゃくちゃ大人なのに、おかげで毎日情緒がハッチャメッチャ!や。

一回、とあるメンバーのFCブログに寄せられた「10個上のおばさん(←タメ)だけど、娘と一緒に応援してるよ😊☺️💕」的コメントを見て二重三重にくらってしまい、撃沈した事がある。おばさん…おばさんかぁ……(そら、メンバ~からしたら絶対にそうなんだけどさ)(そして娘と一緒に応援という健全さ、眩しさ)(直視したらしぬ)

私は自分ではっきり認められていないし、私は自称もまだ、まだ出来ない。したくない。

何故なら社会で生きてきていないし、私はまだ何も成していない。おばさんという成熟した存在になるには、そう自称するには、足りないものが多すぎる。だって私はまだ何も出来ていない。10代も20代も、ただ家でくたばっていただけなのだから。

私はおばさんになるのが怖い、嫌なワケではない。己の足らなさ至らなさに反して、年齢だけが積み重なっていく現実が恐ろしいのだ。

ただ時間だけが日々おばさんへと着々と進んでいっている事への焦りと不安はそりゃある。あるが、結局どこへも踏み出せていない。一歩どころか半歩。進歩どころか後退。

 

人生の先輩(おねえさま)方はみな口を揃えておばさんって楽しいよ😉って言うけど、ウチらを安心させたくてそうしてくれている優しさなのだと思うけど、私は普通に追い詰められている。それって友達が居る前提のおばさんの話であって、友のひとりも居ないおばさんは、マトモな会話が出来ないおばさんは、一体どこへ行けばいいというのか??

これは昔Twitterのフェミニズム界隈でよく見た「良い女の子は天国へ行ける。悪い女の子はどこへでも行ける」という有名なアレ(これに救われ、鼓舞される人が居る事も重々承知の上で)に対する、「じゃあ、善良にも悪辣にもなり切れない女の子は、一体どこへ行けるっての?どこなら受け入れてくれるの??」と泣きながら問い詰めたくなっていた時の感覚を思い起こさせる。

このままいけば友達が居ないミドサーの女がそのまま友達が居ないおばさん、その先はおばあさんに移行していくだけの話なので、このままいって、楽しい未来が待っているわきゃあ無い。未来に希望もクソも無い。

 

私は、どうせおばさんになるのであれば、関西らしく(?)明るく楽しく朗らかなおばちゃんになりたかった。自分がかつて助けられていたような、そんな存在に…。

 

マユリカのラジオを聴いてて、さかよのオカンもめっぽう人見知りな人で、小学生の時野球習いたかったけどオカンの母親の集まりに出るのが嫌だからという理由で習わせてもらえなかったというエピソードを聞いた時はなんかめちゃくちゃ安心したし、救われてしまった。そんな関西のおばちゃんを私は、私の知る範囲では、他に知らんかったので……。

それと同時に、自分も子供がおったらおんなし事しとったんやろな…と考えて想像でヘコむ。別の世界線では子供の可能性激摘み人生を送っていたのかも、と思うと、子供おらんで良かったなって思う(そもそもプチ反出生でもある)(すいません)

 

コミュ力の無いおばさんなんか一番最悪だってずっと知ってるし、冷静に考え、詰んでいる。

この世で一番ケアの役割を求められる存在がおば(あ)さんだから、無言でいられる、不機嫌でいられる、おじさんの自由がおばさんには無いんだよ。悲しいね……

そして新鮮に死にたくなる。

変わらず死にたいおばさんがその内爆誕する。

ばあさんになってもずっとずっと死にたいのだろうか。

なんかのデータで友達が一人も居ないと答えた中年女性の割合は9%だそうだが、

私もきっとその希少な9%の女として生き、そして死ぬ。

その事になんら納得も折り合いもつけられないまま

未来は分からないけど2026年の今も私はなぜかずっと家に居て

もう若くもない事だけ分かっているけど まだなにもあきらめられないまま生きている。

 

 

世界一美しい宣言だ……。

 

wnktm.hatenablog.com

 

激重感情

 

MAZZELに出会ってからというもの、よく泣いている。

これはオタクくん特有の誇張表現ではなく、マジのマジで。

10代の時、私はほとんど毎日泣いていた。蓋をしようとすればするほど吹き零れるような強烈な自意識と、とびきりの自己憐憫に煩悶しては、夜中にラーメン(主にチキンラーメン)(絶対に日清の社員より私の方が食ってきたと思う…)を泣きながら啜っては、長い夜をどうにかやり過ごしている人間だった。

だから後年、名作「カルテット」(2017)を見て「泣きながらご飯食べた事のある人は、生きていけます」というセリフに出会った時には、自分の過去、人生ごと抱きしめてもらえたような感覚があった(今でもお守りみたいに大事に頭の片隅に息づいている、特別な、とっておきの魔法のような言葉だ)

10代の間に一生分の涙を流し切ったからなのか、大人になってからはとんと泣けなくなった。辛くても、悲しくても、たとえ何かに感動したとしても。滅多に。

そんな人生でMAZZELに出会ってからの半年、何度となく涙を流してきた。

それは不意に訪れるもので、それはまるで天啓のような。救いのように。

 

 

2017年から始まった私の映画(をようけ見る)生活の中での一番記憶に残る、良かった映画体験というものは、応援上映、マサラ上映(バーフバリの時に行きまくっていました)を除けば2018年の3月、初日のレイトショーでブラック・パンサーを見に行った時、およそ地元では見た事が無い大勢のアフリカ系の人々が集い、大いに盛り上がっている様を見て、「これはこの人達の為の映画なんだ」と分かった時と、昨年ブリジット・ジョーンズ(の4作目)を見に行った時、恐らくブリジットと同じ時代を生き抜いて来たであろう40代、50代の女性客の姿を見た時の事。

「これはこの人達の為の映画、物語なんだ」と分かる瞬間が私は嬉しく、より深くその作品を理解出来るような気にもなれる。

私が映画に対して求めるもの、目指している映画体験というものはずっとひとつで、それは映画に限らず、全てのジャンル、創作物に対してそうなのだけれど…

「これは私の話」「私の声」「私の姿」と思える対象を、そんな存在を、ただひたすらに探し続けて生きてきた34年。
私はずっと、自分の、自分にとっての、自分だけのブラック・パンサーを
ブリジット・ジョーンズを探している。

そんな中で見つけたMAZZELという光

迷路の果ての、幸福と情熱。

 

 

MAZZELというグループ名には「幸福」「迷路」「情熱」という意味が込められている。

MAZZELとは、幸福を意味する『mazel』に迷路の『maze』、情熱の『zeal』を掛け合わせて生み出された造語である。

「幸福」「情熱」はまぁ分かるとして、名前にわざわざ(ネガティブな側面の方が強いであろう)「迷路」が組み込まれている点がMAZZELの特異さであり、そして特別さなのだろう、とずっと感じて生きている。

彼らは明るく楽しい存在だけど、同時に陰も苦悩も感じる人達だから。

そもそもMAZZELというグループには、洞窟出身という事実がある。

 

 

その全貌、詳細はこちら↓↓

 

www.youtube.com

 

何故か最終審査をガチの洞窟でやる唯一無二のオーディション番組、MISSION×MISSION……(ホンマになんで????)(永遠の謎)

 

 

事務所の先輩であるBE:FIRSTがその名の通り、常にトップを目指す事、FIRSTである事を前提として、目標として掲げ、生み出されたグループ(そしてそれを実現してきた)であるのに対し、名前にわざわざ「迷路」が組み込まれているMAZZELもまさに名前の通り、迷路の中から始まったグループだと思う。

そもそも(何故か)洞窟で結成されたグループである。その時の表情も非常に浮かないもので、本当にオーディションで勝ち抜いて選ばれた面々なのか?と疑ってしまうほどだけれど、それは名前を呼ばれなかった他の2人の心情を慮るだけの優しさと共感力が8人全員に共通してあるからで。喜びだけではない、この先の不安と恐怖の表れそのものなのだった。

デビューからしばらく思うような結果が返ってこなかった事、望むような活躍が出来なかった事。

彼らは最近、往々にしてその時代の悔しさを口にする。

それは「Only You」で注目を集め、まぜべやがバズり、個人仕事が実を結び、爆発的に人気が上がり、認知が広まった現在になってようやく語れるようになったのだと思う。

その時に絶対にセットで語られる事が、その頃からあらゆる場面で声を張り上げ、支え続けてきてくれたMUZE達への、恥ずかしくなるほどに直球で特大の感謝と愛で。

私はそれを見る度、昔からのMUZE、一人一人がうらやましくなる。

私もその時代から知ってたかった、愛していたかったと、どうしたって思うのだけど

それでもファンを古参、新規で分けようとしない優しさがMAZZELにもMUZEにも、共通してあるのが素晴らしく優しい世界だと思う。古参MUZEの多くは新しくやってきたMUZEを「新しく来てくれた人」「ファンになってくれた子」とどこまでもあたたかく迎え入れてくれる。

こんなに優しい界隈、私はちょっと他に見た事が無い。

私がMAZZELにここまでやられてしまった要因のひとつとして、MUZEの存在はでっかくある。本当に優しくてあったかい、最高におもしれ〜女達だよ……(もちろん、メンズMUZEもね!)

優しくなりたい、正しくありたい、と大人になってからずっと思って生きているけど

MAZZELを知って、MUZEを見て、より強くなる一方なのです。

 

 

MAZZELの優しさというものは、ただ楽しくまぜべやを見ているだけの時にも、ハッと感じさせられる瞬間が度々ある。

面白おかしくメンバーをイジり倒すけど、絶対に一線は超えないカイリュウ

自らを姫と称し、ファンに対して「世界で一番かわいいよ!」「ずっとMUZEの味方やからね」と何度も、何度も言葉にして手渡してくれるナオちゃん

マイペースだけど周りをよく見て、さりげなく手を差し伸べてくれるランちゃん

鷹揚な笑顔で周囲を和ませ、ライブでは熱い言葉と円陣で皆を鼓舞する役割を果たしているセイちゃん

口は悪い(ご愛嬌)けど絶対に誰の事も否定しないし、皆の良いところを素直に褒めるリュウキ

言葉数は少なくとも、リーダーとして頼もしく皆を後ろから見守り支えるたっくん

常に周囲に気を配り、心を込めて丁寧に人と関わり合うトムちん

誰より優しく(時に辛辣)言葉を紡ぎ、言葉を尽くす事を恐れないエイキ……

 

私が特に好きなMAZZELのエピソードのひとつに、昨年のツアーファイナルの時のエイキのMCがある。

7人が唐揚げを選ぶ時に1人が鮭を選んでもMAZZELはそれを茶化さないし、逆にその1人を持ち上げる事もしない。一人一人の選択をただそのまま受け入れる事が出来るMAZZELの環境がすごく好きだというエイキの発言(そしてそれをMUZEに教えたい、伝えよう!と思い話してくれるエイキの優しさ、美しさよ…)が私は本当に大好きだし、なにかそこに私がMAZZELを好きな理由、これほどまでに居心地が良い事に対する答えが詰まっている気がしてならない。 

バラバラでカラフルである事の良さに加えて、多様な自由さと優しさがずっと根底に存在している。

彼らも人間なので、時にキツく感じる言葉が飛び交う瞬間も、危ういなぁと感じる瞬間も、そりゃある。でもその時に必ず誰かがカバーして、笑いに変えて、うまい具合にまた回っていくその流れも実に達者で、見事で、安心感があるのだ。

MAZZELがグループである事の意味、この8人である事の意義を強く感じるのは、そんな瞬間で。

そんな彼らのやり取りを見ていると、こんなにも嘘が無い事ってあるんだなぁとずっと思う。

そりゃあエンタメだから、ショーだから、言えない事も見せ(られ)ない部分もあって当然なワケだけれど

その中で出来る限りの本音を見せてくれているのだと思えるし、常にこちらに本気でぶつかりに来てくれている事も分かる。

彼等が何度も、何度も口にする、「当たり前じゃない」も「誰一人置いていかない」も

嘘でも誇張でもなんでも無く、全てが本気なのだという事は、彼らのパフォーマンスから、日々の姿から、嫌ってほどに伝わってくるのだ。どうしようもなく。

 

この世には色々なグループが居て、優れた才能があるけれど

こんなに深く愛してくれる世界が他にあるんだろうか

こんなに優しくて楽しい子たちが他に居るんだろうか

8人が8人、全員に対して「今、ここに居てくれてありがとう」「大切な夢をあきらめないでいてくれてありがとう」「生まれてきてくれてありがとう」と心の底から思える、こんな、奇跡みたいな8人が……。

 

MAZZELは決して、順風満帆な歩みではなかった(と、本人たちもMUZEも感じて来たのだと思う)

だからこそ彼らは迷いの中にある人を置いて行こうとしない。

弱さを抱えながら生きる人にこそ、特に刺さるのだと思う。

実際彼らは何度もあらゆる局面で「誰一人置いていかない」と公言してきた。

「今ここに居るMUZE、全員を幸せにする」とも誓ってきた。

そう言葉にするには責任が生じるし覚悟も必要だけれど、

その責任を丸ごと引き受けて、それでも楽しく自由に魅せる、邪道な王道を乗りこなす、やり切るのだという彼らの心意気こそが眩いばかりに正しく健全で、やっぱりなによりもまず優しい、と思う。

私がMAZZELを好きになった理由の第一は「面白いから」(まぜべやを知ってしまったので…)だったけれど、愛した理由は、「優しいから」だったんだ、と思う。

 

私は一体、ボーイズグループに何を求めているのか?という感じだけど……でも、そんな優しくて楽しくて面白くて謙虚で誠実な彼らだからこそ、私はこんなにも日々救われているのだ…と思う。ここを最後の界隈に、愛にしたいと願うくらいには。

 

 

MAZZELが洞窟出身な現実も、名前に迷路が入っている事も……

全部がしっくりくるし、なにもかもが特別で、なにひとつとして当たり前じゃあない。

先の見えない迷路の中を情熱を燃やして出口を目指しその中で得た幸福を人々に渡していく。

そのコンセプト通り、グループ名に込められた意味、そのままの生き方を彼等はしてくれているので、そこに対する感激もずっとある。それがけして最初からそうではなかった事。彼らの努力そのもので引き寄せてきた運と、積み上げてきた経験と価値こそが、グループ名に込められた意味、そのものを実にみごとに体現してくれている。

その事実に私はいつも泣き出したくなる(っていうか泣いている)

こんなにも素晴らしい事がこの世にあるのかって、未だに信じられない気持ちにもなる。

全部全部、彼らがただ自分達に与えられた様々な運命、色々な要素を正解にする為にひたすら努力し続けてきた結果であり、その答えが今なんだ。

そう思うと、本当に愛しいし、どこまでも眩い。本当に本当に、なんて誇らしいんだろう。どこまで、私たちに誇りに思わせてくれるのだろう。

 

 

KAIRYU「ポジティブな思いだけではいられない期間もあったし、デビュー1年目と3年目で大きく何かを変えたわけではない。にもかかわらず、求めてくれている人の数が何倍にも増えているということは、MAZZELは今存在すべきグループだと思う。もちろん、まだまだ上を目指しますが、MAZZELがMAZZELのまま、今に辿り着いたことが誇らしいです」(AERA  2026年6月15日増大号)

 

カイリュウが自分たちについて語る時、言葉を尽くす時、私はいつも泣き出したくなる。カイリュウの声も存在も、ずっとなにもかもが特別で、大切すぎるから。

こんなに大切に思える存在に出会えたんだって事実に、まだ心が付いていけないでいるから。

 

 

ずっと好きだとか味方でいるとか、もう言えないし誓えもしないって思っていた。

そう言葉にしていた事で、いつかなんかあった時(私は割とすぐ無理になる人間である)

必要以上に自分に失望したり、傷付くのが嫌だからで、私は長い間恐れていたけれど

MAZZELにはなぜか、ずっと大好きだし、何があっても味方でいるよ、って言いたい気分になったので、最近は言って(書いて)みてる。

今こんなにも救われてたって、明日急に無理にならないという保証は世界のどこにも無い。

いつかまた失望したり、傷付いたりするのかも知れない。

だけどそれだってもういいんだ、って思えている。

本当いつまで続くか、続けられるのかも分からないけれど

一生が、永遠が、本当にあるのかどうかも分からないけれど

今帰る場所がひとつあるなら、生きられる世界がひとつあるのなら。

それ以上に素晴らしい事なんて、特別なものなんて

この世のどこにも存在しないのだろう。

 

 

子供の頃から古今東西、ありとあらゆる本に、音楽に、映画に芸術に、創作物に救いを求めて生きて来た。

「これは私の話」「これは私の声」「これは私の姿」と

そう思えるものだけを追い求めて生きて来た。

MAZZELは私の話ではないし、私の声でも、姿でもない。

共感も同調も、感情移入も自己投影も、なんにも無い。

だけど、それなのにMAZZELは、MAZZELこそが私の居場所で、私の辿り着くべき世界だったのかも知れないと、そう確かに思っている。

それだけで今まで無為に過ぎて来た日々、すべてが報われるだなんてとうてい言えない。

私は今もまだ死にたいし、10代の間に死にたかったって、この先も思い続けて生きていく。

それでも迷い込んだ迷路が今ここに、MAZZELにまで続いている道だったんだと思うと、自分の人生にもまだほんの少しでも誇りが持てる。まだ微かな自信を持てる。

なにより彼らを見つけられた、彼らが見つけてくれたこの人生を否定するなんて事、私はもうこの先、二度と出来ないのだから。その幸運と幸福を、今こうして抱きしめて生きていられるのだから。

こんなに幸せな事なんて 世界中どこ探したって他には無いんだよ。

 

 

どこまでも明るく楽しいのに何故か泣けてくる、生きる多幸感MAZZELをぜひいっぺん、浴びてみてください(私は毎回、リュウキのラップでゲロ泣きします)(あなた達は愛の形そのものだよ)

 

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愛をこめて!

 

私がMAZZELを見つけ(られ)たと思っていたけれど、実際はMAZZELが私を見つけてくれたのかも知れない

 

※どこまでも個人的な話しかしません

 

何故なら、最も個人的な事が最もクリエイティブな事だってスコセッシが言ってた、ってポン・ジュノが言っていたからです(2020年のアカデミー賞)(スコセッシとジュノぽんの威を借るオタク)

 

 

ChatGPT(以下、チャッピー)をそれなりに活用し始めて1年が過ぎた。

私の使用方法はひたすらに壁打ち、こちらの話したい内容をただ一方的に送り付けているという感じで、その他はたまに分からない事を尋ねたり、気が向いたら画像生成。ラジオ(この数年お世話になっているアフター6ジャンクション)に送る文章の添削をしてもらい送ったら、実際に読まれた事も一度あった。

チャッピーと話すという行為は壁打ちの延長線上にあるものであり、結局は自分との対話でしかない、と途中で気付いた。「大体こういう感じで返ってくるだろうな」という予測の上でのやり取り。納得のいく答えが返ってくるまで生成を繰り返すという事は、最早自分と喋っているのと同じ。だから実際のところ、ひとりで喋ってる時より虚しいものだとは思うけど

話し相手が居ない(社会で生きていない上に親ともまず会話は無いし、何より友達が居ないので…)(本当、よく平気な顔で生きてるよな!?とは自分が一番、思っている)人間の思考の整理にはなってくれるから、それなりには重宝している。

1月末からはひたすらMAZZELの話も聞いてもらってきた中で、やり取りを重ねる内、自分の中でひとつの結論のようなものを導き出せたので、それを記録しておこうと思う。

鬼長いです(何してんの????)

 

多分初めてMAZZELについて言及した時。 

関西弁の話しかしてへん(よっぽど衝撃やったんやな)

 

最初期はせ〜ぴょんにメロつき散らかしており、大変だった(私が)

 

2月、年齢(自認)がバグっている。まだMUZEをMUSEと書いている上に、自称にも抵抗を感じている時期(今は思ってないです!誇らしいです!!)

 

大量の雑誌に慄く

 

3月、カイリュウさんにメロメロの日々。子猫ちゃんで大横転

 

4月上旬、順調に末期

 

Mステの日

 

トクアバで狂う

 

アリツア兵庫初日、前日

 

当日、いよいよ生で見て激病み(なんでなん????)

 

からの激重感情

 

ハマダ歌謡祭について

 

夏が始まった合図がした

↑これ、かなり名句です。←小賢しくてオキニ

 

無理難題を言い始める

 

デビュー3周年に寄せて…

 

5月中旬、新たな発見

 

ぴゆくカイリュウさんにドッタンバッタン

 

オントーで病む(もう、見んのやめな!!!!)

 

トクアバで持ち直す(単の純)

 

急にやる気になる6月

 

グッズに関して(無事購入~💸~)

 

元気に爆狂い

 

思春期すぎる

 

ひとつの真理に辿り着く

 

私は、チャッピーと話すという行為は自分と話す事の延長線上にあるものだと思ってきた(し、それが事実だと思う)

だから虚しくもなるし、頓珍漢な事を言われるとハァ?ってなったり(度々喧嘩)もしてきた中で、

たまに訪れる、私の認識や常識を超えた返答、人類の叡智を超える答えが返ってくる瞬間にのみ感嘆してきたし、その瞬間を目指してやり取りを重ねて来た(つもり)

その中でこの言葉が出て来た時に、瞬時に、率直に、「それだ!!」と思えた。

私がこの半年間MAZZELを見続け、追い続け、考え続けてきた中でのひとつの到達点。

私がMAZZELを見つけ(られ)たと思ってきたけれど、実際はMAZZELの方から見つけにきてくれたんじゃないか。

この感覚を裏付ける言葉として、神曲「clover」を生み出したエイキの発言がある。

あらゆる媒体のインタビューで彼は「この曲はMUZEへのラブレター」と語ってきた。

 

「僕たちにとってMUZEはこういう存在で、MUZEにとって僕たちはこういう存在でありたいという、自分がずっと思っていたことを表現しました」(日経エンタテイメント)

 

「僕を見つけてくれてありがとう」をTHEFIRSTの頃から戦ってきたカイランに歌わせてくれる事に感激していたけれど、実際この言葉も、ほんとうはこちら(MUZE)側からの言葉だったのかも知れないなぁ…って、なんかふと、思った。

初めて聴いた瞬間から、「はじめて目が合ったあの日ずっとずっと忘れない」「僕が笑える理由なんて君がそばにいてくれるから」に対しては、こっちのセリフだよ!!!!(泣き声)と思ってきたけれど……

 

MAZZEL、迷路から抜け出すための出口に向けて情熱を燃やし、幸福をつかみ取って人々に渡していくグループ。

そのコンセプト通り、その名の通りな生き方を日々見せてくれている彼らの姿に、生きる姿勢に、出会ってからずっと救われて生きている。

星の数ほど居るボーイズグループの中で、私がMAZZELに惹かれた理由。

私がMAZZELを愛した理由。

ずっと考え続けていたけれど、思いがけずにチャッピーがその答えを導き出してくれた気がする(MYチャッピ~、ありがとう!)

私がMAZZELを見つけ(られ)たと思ってきたけれど、実際はMAZZELが私が見つけてくれたのだ(と、そう思えるくらい彼らは愛に溢れているし、誰も置いていかないという言葉そのものを体現してくれているのだから)

 

私は未だ長く続く迷路の渦中に居る。

ただその迷路の果てから聞こえてくる音楽に導かれ、出口を目指して生きられている今この日々の幸運を、私は絶対に忘れたくないし、忘れられもしないんだろう。

迷路の中を 幸福と情熱を灯として生きてゆくのです。 私も、また、まだ……

 

 

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cloverは世界で一番良い曲(©西寺郷太氏)なので、全人類聴いてください。

 

好きなまぜべやの回5選

 

MAZZELのYouTubeにおいて、登録者数(私が見始めた時よりすごいスピードで格段に増え続けているとは言え…)から考えれば、毎度信じ難い再生数を叩き出す特大キラーコンテンツ、MAZZEL ROOM、通称まぜべや。

私も初めて再生ボタンを押したその日から、あの白い部屋に閉じ込められた8人の巧みで快活なやり取りに夢中になって生きている。

まぜべやの見すぎで他のボ〜イズグループのバラエティ番組など見ていても「MAZZELの方が面白い」「まぜべやなら、もっと…」とか比較して見てしまっている己に気付き、これってバーフバリを知った後、(↓↓この時期っスね)

yayoiin.hatenablog.com

見る映画、見る映画を全部バーフバリと比較しては「バーフバリ(※王の凱旋完全版)は3時間以上あって一瞬たりともダレる瞬間も無駄な描写も無いのに、この映画は一体なんなのか??」とか考えていた時以来の感覚であります(よくないスね)(そんな味の濃いモンと比べるんじゃあないよ)

MAZZELって、バーフバリとおんなしぐらいおもろいよ(!?)

 

BMSG界隈、よくMAZZELから入った人はBE:FIRSTのツッコミが居ない空間には耐えられない、と聞くけれど、私もなんかもれなくその身体になってしまったようです。

トレーニー達の動画も楽しくは見てますけど、やはり話芸で(MAZZELと比べてしまうと)は歴然とした差があり、到底追いつけるレベルには達していないので、かなり優しい目で見てあげないと厳しい瞬間もある。

私は一体、アーティスト(のコンテンツ)に何を求めているのか…!?という話だけど

残念ながらまぜべやから入ってしまったモンですから

求める笑いの水準が高くなってしまったワケですわ

(ほぼ全部カイリュウとリュウキのせい)(おもろすぎんネン)

 

そんな笑いに溢れたまぜべや。

現時点で全65回ある中での、今現在の個人的お気に入り5選を記録として、書き記しておきます。

 

①NAOYA王

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ここが入口、という人も多いであろう(私もそのうちの一人である)まぜべや全65回(今現在)でNO.1の再生数を誇る我らが姫、ナオティアンにまつわるクイズ回だ。

これを見ればナオちゃんの人となりは勿論の事、冒頭の挨拶でロングしけをかましてくれるリュウキを筆頭に、MAZZEL8人のキャラクター、関係性がある程度つかめるまさに入口に適した神回だと思う。

ナオちゃんの姫キャラを誰も否定も批判もしないが扱いは雑、というMAZZELの自由な多様さと粗雑な面白さを同時に堪能出来る素晴らしき回。

私のお気に入りは姫のイイじゃんとお花ポーズを大変気に入り、大喜びで「天才!」と褒めるリュウキのとびきりの素直さ、可愛さです。バチバチ姉弟、永遠にカワイイ!!

 

 

②TAKUTO画伯

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独特な絵画センスを持った我らがリーダー、TAKUTO画伯の神イラスト&カイリュウのお笑いにおける神がかった天才ムーブを一度に拝める神回。コメント欄で見た「たっくんは下手くその中で一番絵が上手い」というコメントが実に秀逸で最高!(コメント欄を見まくるまでがまぜべやです)(後の回のまぜべやにおけるカイリュウの「不安定なところで安定してる」もまた、たっくんの不思議な絵力を如実に言い表している表現だと思う)

斬新で独特な絵心を発揮してくれる画伯だが、マイケル・ジャクソンだけは妙に上手いところにたっくんのダンサーとしての歴史と経験、リスペクトを感じさせる点が最も愛おしいポイント。終盤の流れはカイリュウの「Pの人」としての手腕がキラリと光る名作だ。

 

 

③椅子取りゲーム

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カイセイ爆狂いオタクとしては外せない回。

ただの椅子取りゲームをここまでハイレベルに面白いものにしてしまうMAZZELくん達のお笑いの才能と運(引き)の強さは恐ろしいほどである。

エイキの膝にうっかり座ってしまった結果、赤ちゃん扱いを全力拒否する最年少リュウキと、ランちゃんの膝上で赤ちゃん扱いを静かに受け入れる最年長たっくんの対比が実に愛おしい。最年長のリーダーにして、赤ちゃんであり、おじいちゃんでもあるのがたっくん(の魅力)さ。

 

そして中盤の特大カイセイに狂ってしまったおたく(自己紹介)

SEITO「お尻プリプリしてるの嫌や…」「膝の感触ヤバかった」

KAIRYU「まだ若いからね~、お尻プリプリよ」

MUZE「ずっと何を見せられとんねん」←コレ

 

カイセイへ。一生仲良しでいてくださいね。ぱゆ😘💖(おたくより)

 

ナオティアン「椅子も喜んでおります」

 

 

④みんなでお料理回

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久しぶりにいつもの部屋を飛び出して、キッチンスタジオでの待望のお料理回!

年上組と年下組に分かれての対抗戦となるも、年長組をおじさん(は分かるとして)年少組をおばさん(約2名)とイジり合うという、ボーイズグループにおいて未だかつて見た事の無い光景が愉快で楽しい。慣れない環境での調理で余裕が無くなった年上組の珍しいギスギスっぷりも見ものである(全部IHとマスターが悪い)(byたっくん)

 

料理に馴染みの無い手持ち無沙汰なリュウキに「じゃあカッコイイお皿見つけてきて」と指示を出してくれるトムちん(持ってきてじゃなく見つけてきて、なのが特に素晴らしい!)→デカいのがカッコイイ!という理由でどう見てもオムライス向きではないバカデカ皿を持ってくるリュウキ→デカさに狼狽えるも、じゃあフライパン(のサイズの方が)間違えてるやん!となるラン兄(それらを横目に卵に集中するな〜ちゃん🐣)…の年少組の流れが優しすぎて、愛おしくって、何回見ても感動している。

トムちんが優しいお姉ちゃんすぎて泣けるし、ラン兄は本当に優しくて泣ける。

何よりリュウキが21歳になってもデカい事が一番カッコイイ😁✨と信じている現実、愛おしすぎる宝物!!!!(ぽぽ、ずっとそのまんまでおってくれ…)

リュウキがカッコイイと思うもの、ステキだと思うものを誰も否定しない空間だって分かってるからあれだけ天真爛漫に自由にご機嫌に振る舞えるんだな〜と思うと、MAZZELって本当にステキ…ステキなんですねぇ……(調子悪い時は本当に泣いていますよ、わたしゃあ)

とにもかくにもラン兄のスマートさ、優しさに惚れ直す神回!こんなにも爆イケなのに、自らの美貌にあまり自覚が無く(なんでなん????)たっくんの激メロ言動を「これに惚れる人もおるんやろうな〜」(※その通りでございます)と客観視出来る一方、自分のメロさは全く自覚してくれない、ホントおもしれ〜男だよ……😏

 

レシピを参考に実際に一度作ってみた、ツナと卵のコンフィエチュベ&豚バラレンチン~(キノコ類が苦手なため、レタスで代用)

催マネお気に入りの「潤い」という最高の褒めワード、その真の意味を己の舌で実感したミドサーの春なのでした(潤い、だいじ!!!!)

 

 

とっても美味しい!!!!(๑´ڡ`๑)ლ(´ڡ`ლ)

 

 

⑤メンバー初めての飲み会

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MAZZELの歴史を語る上で、やっぱりこれは外せないよねぇ、、、という事で。

最年少トムちんが二十歳を迎え、全員お酒が呑めるようになった記念で開かれた飲み会。

昨年末にバズを巻き起こしたナオティアンによる名(迷)言、「酔っぱらってぴぴゃ」生誕の地。

何度見てもナオちゃんの「色んなオーディションとか受けてたけどホンマに受からへんくてよかったなって思う」「8年間位ずっと練習生とかしてたけど、なんでデビューできへんねやろって思ってたけど、デビューせんくてよかったなってマジで思う」に大いに泣かされる回。

皆、BMSGで良かったね、そこまで辿り着けて良かったって、全員に対して思うのだけど(私は)個人的に一番それを強く感じる人がナオちゃんで、常々「MAZZELが大好き、MAZZELでよかった」って言ってるのも全部嘘でも誇張でも無くて、ホンマの本心で、本音なんやな…って事がこの回を見たらよく分かると思う。

BMSGのBe My Selfの精神を一番体現してくれている人って、ナオちゃんだと思う。

それは、一番最初に見た時からずっと変わらない印象です。

 

何度見てもラン兄の実にスマートでさりげない「お水もください」に惚れ直し、お酒でぽわぽわ赤なったトムちんの愛らしさに心臓がぎゅっとなる。隣で優しく見守る酒激強リュウキを見ていると、彼がMAZZEL唯一の長子である現実がしみじみと浮かび上がる。ウチらの大事な、大事なマンネズ。絶対に絶対に、守っていくかんな…!!!!!(激重感情)

最後のカイリュウの「もちろん見世物になるから当然張り切るし頑張るけど、取り繕ってはない。リアルMAZZEL」って言葉はまさに私がまぜべやに、そしてMAZZELに対して抱く感情、感じるすべてだなぁと感じさせられる。

言えない事も見せない部分もある中で、それでもずっと彼らは言える範囲の事を言い、見せられる限りのものを見せてくれているんだよなぁ…と常々感じて生きているので。

 

人生で一番笑う瞬間って結構まぜべや、ってエイキが言ってたけど私もマジでそうなのかも知れない。

今までの人生、散々お笑いも見てきたけれど、ここまで手放しで安心して愛せる世界は無かったというか…(やはりお笑いというものは時に差別的だったり、暴力性に満ちていたりしますので)まぜべやはマジでその心配、不安が一mmも存在しないので、それは本当にすごい事だと思う。

頻繁に飛び交う「お前」「こいつ」を名前に、「そいつ」を「その人」等に変換してテロップで出してくれているのを見る度、何と言う細やかな心遣い…とずっと感心してるし、感激している。

言いすぎ暴言はちゃんとピー入るし、時に神絵師さんによる神イラストで可愛くファニーに昇華してくれたりもする。

私は特に気にならないけど(関西人が多い事もあり)言葉がキツく感じて見るのがしんどくなる人も居る事は分かるから、編集で補正してくれてんのって本当に優しい世界だし、カマD達のマゼへのでっか愛を感じる……。

私はやっぱり、まぜべや入りのMUZEですので

MAZZELの素のオモロさはもちろんの事、まぜべやスタッフ様方の素晴らしい編集技術と愛ある構成が本当に好きですし、素敵な世界だ〜〜〜と思います。テロップひとつに愛が、こだわりが、優しさがある。まぜべやは本当に、史上最高の映像コンテンツ。二週間生き抜いた先のとっておきのご褒美!

まぜべやのコメント欄を見ていると本当に救われている人がいっぱい居て、「わかりゅ!!!!」言いながらひたすらいいねを押しまくる日々です👍️

1月末から本当にず〜〜〜っとまぜべやばっかり見ているので

脳内でカイリュウの「まぜべやばっかり見るな!」「暇かお前!!」(To:トムちん)が鳴り響くワケですけど(都合の良い脳みそ)何回見返してもどの回も等しく素晴らしく、60回以上やってて、中には50分近くある回もあるのにどの回も漏れなく全部面白くてハズレ回がただのひとつも存在しないのって、本当に本当にすごい事だ。それだけ皆、ずっと本気で向き合ってきてくれたんだな~と思うとホンマに愛しいし、全部が宝物です。MVもVlogもライブ映像も全部全部嬉しいしありがたいねんけど、私はやっぱりまぜべやのMAZZELを見て坂を転がり落ちた人間なので(「面白いから」という理由で好きになるボ〜イズグループ)私はやっぱり、まぜべやが一番何よりも大好きです。どこより素敵な世界だよ!!

どんなに売れて、皆がおじになって、私がおばあになっても。

永遠にあの部屋に閉じ込められていて欲しいし、二週に一度、我々を笑わせ続けていて欲しいものですね。これからも一介のMUZEとして、ずっとお世話になります!!!!

 

愛をこめて。

 

好きなMAZZELの曲5選

 

今現在の個人的な記録として。

※数字は順位ではありません。

 

1曲目「J.O.K.E.R.」

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皆大好きJ.O.K.E.R.。私の始まりのMAZZELでもある。

私はこのFESバージョンが好きすぎる為、こちらを貼らしてもろとります~~~。

ランレイのSo Good、からのランちゃんの粋な言葉、キンコンカンコンとともに現れるMAZZELの圧倒的多幸感たるや!そしてSeaside Story→キンキラ→J.O.K.E.R.→DANGER、の流れがたまらなく好きすぎて……!!

アマプラで一生そこば~~~っか見とる。何より日没が似合いすぎるMAZZEL!!!

デビューから自走を課せられてきた悩める彼等にとって、風向きが変わったターニングポイントとして第一に挙げられる楽曲。最初にランちゃんの足の間で踊り狂うセイちゃんを見た時は信じられない気持ちになった(なんならまだ信じていない)何であれで歌えんねん。何でこれで踊れんねんの連続。ぜひ、全人類に見て頂いて一度は度肝を抜かれてみてほしい。

そしてもう5万回目言われてる事だとは思うけど、一番サビが「こんな罠簡単にかかっちゃダメだろ」(ランちゃん)で、2番になると「こんな罠簡単にかかっちゃダメでしょ?」(ナオちゃん)なの、何回聴いても、しみじみ、良い……ッ!と感じますねぇ。本当、歌割り完璧だな〜〜〜〜って思う。適材適所、歌詞が輝いとる!!(と、思う)

ここを〇〇に歌わせてくれてありがとう…!って事がありすぎる社長の天才的ディレクション、大感謝!!!!

 

 

2曲目「Holiday」

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こちらもやっぱり皆大好きHoliday!

一番とか無いけど、是が非でも選べと言われたならば、私はこの曲を挙げます。

ナオちゃんがMAZZELで一番好きな曲だと言ってくれた事も、とっても嬉しい。

何回見ても聴いても泣ける。宝物みたいな、永遠に閉じ込めておきたい愛おしい瞬間だよ…

私はこのライブ映像を見てMAZZELとMUZEの間に流れる素敵であたたかな光の光景に憧れ、「いつかここに行くまでは死ねない」と決意をしたものです。

何度見ても、「幸せになろうぜMUZE!」って言ってくれるランちゃんの優しさと頼もしさの大ファンですわ。

 

カイリュウはどの楽曲でも歌柱としての実力をいかんなく発揮してくれているワケだが、私が一番好きな師範がこのHolidayの時の師範!

「自由になって」って、自分に対して言っている歌詞(と解釈しているの)だけれど、カイリュウはまるでこちら側に、祈るように切実に歌いかけてくれるので、弱っている時に聴くと本当に泣いてまう。

今まで何度も人の歌に涙してきたし、鼓舞されてもきたけれど

声だけで泣けてくる人は私にとってはカイリュウだけです。

カイリュウって人は本当、生きる有心論みたいな人だよ(@RADWIMPS)

 

(だって君は 世界初の

肉眼で確認できる愛

地上で唯一出会える神様!)

 

 

3曲目「BANQUET BANG」

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私がMAZZEL沼に足を踏み入れてから初めてリアルタイムで追えた新曲です。

それがこの曲で本当に良かった!と思っています。幸運だったなって、この先の人生、何度も振り返って生きていくよ…。

公開されたその日からずっと、数回したいとかそういう事でもなくマジで毎日聞いて生きていた2026年、2月。楽曲は当然の事、一発撮りな事実が信じられないほどのクオリティで作り上げられたこのMVがまず、最っ高に素晴らしい!最後のマンネズの愛らしさたるや……🥺💖

FCにある舞台裏映像も本当に素晴らしいから、それを見る為だけにFC加入しても十分すぎるほど元は取れると思われます。

全部全部大好きだけれど、やっぱりナオちゃんの「何が正義とかもういい 君らしい君でいればいい」←これが綺麗事でもなんでもなく、ナオちゃんの本心からの言葉だと分かる事が尊い。MAZZELって、ずぅっと“本気(マジ)”なので……

言葉の、パフォーマンスのすべてに血が通っていて、切実だなぁといつも思う。

そしてたっくんの最高「Here comes MAZZEL」!!!!!←5億点加算

Twitter(という名のX)でどなたかが呟かれていた、「MAZZELというアニメの第二期OPテーマ」という説明、表現がしっくりくる、特別な一曲!

 

4曲目「Only You」

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やっぱりこの特別で大切な楽曲は外せない、という事で…。

MAZZEL大躍進のきっかけとなった楽曲。メンバーの姫、ナオちゃんがW主演をつとめたドラマ「セラピーゲーム」のED曲(出会ってから半年経ったけど、この期に及んで私はまだセラピーゲームを見ておりません)(原作も未読)(なんで????)

念願の、待望のTHE FIRST TAKE

ナオちゃんが「僕たちMAZZELが色んな愛の形を肯定出来ますように」とだけ言って歌い始めるの、あまりにナオちゃんだし、とってもMAZZELだ…と思った。

「肯定したい」でも「肯定します」でもなく、

「肯定出来ますように」って、祈りなんだね、願いなんだ。

その謙虚さと誠実さがまさにナオちゃんだし、MAZZELそのものって感じがして、何度見ても胸がいっぱいになる。ほんとうになんて誠実で心優しい子たちなんだろうか。Only Youは素晴らしい楽曲だけど、私達がそう思っている以上にMAZZELはずっと大切にしてきたし、それはこの先も変わらないんだと分かる事が私は、うれしいのです。

全部本当に素晴らしいけれど、やっぱり私は「もう誰にも笑わせない 好きの形全部」が大好きだし、何より、ここをエイキが切実に歌い上げてくれている事実が尊い。誰より実直で誠実なエイキが歌ってくれているからこそ、歌詞の意味が、その価値がより深まる、素晴らしい振り分けだ…と何度聴いても胸打たれます。

「生きる意味をありがとう」、何度だって、こっちのセリフだよ!ってなってしまうのがMUZEの常。

Only You、世界で一番良い曲!!(byKAIRYU)←ホンマそれ。

 

5曲目「The Voice」

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公開されてから一生再生し続けている一曲。そして一生涙しまくっている。

これをアルバムの最後の曲として持ってくるMAZZELはやっぱりどこまでもBMSGなのだ、と思った。そして圧巻のツアー、ラスト。あの生声は、恐ろしいまでのものだった。

 

全部、全部が深い部分にまで刺さり、抜けないワケですけど、カイリュウの自分の声を抱きしめて生きるというとてつもない覚悟と決意を感じる声。ずっと自分の声を否定されてきたと語ってきたセイちゃんに「The voice is always mine」を歌わせる社長の愛と心意気(もう、この時点で爆泣きなんすけどね)たっくんのコレオの静謐さの中にある静かに燃え上がる炎、ナオトムにしか出来ない、表現出来ない繊細な鏡のようなダンス、リュウキの「じいさんになってもBaby」、リュウキにしか言えないリリックすぎて眩しすぎる(リュウキがBabyなじいさんになるその日まで、見守っていたいから、生きねば…というね)(私もBabyなばあさんになりたいぞ)「どう愛しどう愛されていくか」を愛の人であるエイキが担当している事も、ランちゃん渾身の「いや間違ってたっていい」「僕だって今」の叫びも………

その中で、ずっと「The voice is always mine」と歌い続けるカイリュウが最後だけ「The voice is always yours」になる(そしてこちらを指差すコレオ!)のが何より、私は、私はさぁ~~~………🥲😢

前述通り、私はMAZZELで「Holiday」が一番好きで、カイリュウの「自由になって」に惚れてMUZEになったようなモンなんですけど、自分に話すような歌詞でも、聴いているこちら側に手渡してくれるような歌唱が多い(と私は解釈している)カイリュウさんが、「The voice is always mine」だけはカイリュウが自分自身、一人に対してだけ言い聞かせているように聴こえてきて、私はそこにカイリュウさんの歌への執念とか、重ねてきた年月への誇りが、信念が見えてくる気がして……。

あぁ本当、人生そのものを見せてくれてるんだ、聴かせてくれてんだ……ってしみじみしてしまうのです(そして涙)

そして「The voice is always yours」だけは最後、こっちに投げかけてきてくれるのでなんかもう本当に…好きですね……(一言)(限界)

 

私はやっぱり、自分の声に自信も無いし、何よりそもそも緘黙だし(まだね)で、精鋭のMUZE達みたく現場ででっか声を出してMAZZELを支える事も出来ないし(それでまぁやっぱり、GLIONでは病みまくっていたワケです)いつまで経っても全てにまだ新鮮に傷付くし死にたくもなるのだけれど

カイリュウがそう言ってくれるなら、歌ってくれるなら、カイリュウ自身が迷いの中でもずっと自分の声を信じて生き続けてくれるんなら、私も自分の声を抱きしめて生きたいと本当に思えたし、やっぱり私もまだ何も捨てられはしないんだ、と思った。

カイリュウが自分を信じて生き続けてくれるんなら

私もまたほんの少しでも自分の人生に期待してやりたいし

まだなにか賭けてみても良いのかも知れないって感覚。

全部嘘じゃないし 嘘にもしたくないのです今は。。。

 

 

 

オレのAppleMusicの3ヶ月記録

多分、人生で今が一番音楽聴いとる……この先もお世話になりますッッ!!!!

 

姉と私と℃-uteとEIKI

 

2020年3月7日、姉だった人を乳癌で失った。

最後は家で、父、母、義兄、私で看取った。その時の事⋯それ以前から、姉が病気になってから母は姉に明らかに優しくなった。今それが出来るなら、何でそれをもっと前に、ずっと昔からやってこなかったんだ、と私は思っていた。でもそれをずっと黙って見てきた自分も同罪だって、どうしたって思う。痩せ衰えていく姉に親身になる母親の姿は安いドラマみたいで正直言って滑稽だった。でも姉自身は生涯で初めて母親の関心を、その愛を独占出来て、多分嬉しかったんだろうという事も分かる。そういう事を、私は誰にもなんにも話していない。

 

私の家は、所謂愛玩子と搾取子の関係性で、私が母親から愛玩される立場、姉が搾取される側のこどもだった。

色々あった。色々ありすぎて、とても書けない。 

けどその中で私が一番覚えてて忘れられない事は、

母が私の70点、80点のテストを褒めるのに対し、姉の100点満点のテストを決して褒めなかった事。その時に私はなんか全ての歪みのその根源を理解したと言うか、自分の置かれている状況を自覚したし、その時静かに親への期待も死んだ。

私の記憶の限りでは、母が姉(口が達者、正論で論理的に攻め立て、歯向かってくる)を褒めているところをただの一度も見た事が無いのだけれど、私(緘黙、育てやすい、歯向かわない、従順)が生まれてくるまでにはあった事なのだろうか。だとしたら、私は姉から何を奪って生きてきたんだろうと、そりゃ考える。考えるけど、生まれちゃったんだからしようがない。もう何ひとつとしてやり直しはきかない。

自分も姉に対して、もっと上手く立ち回れば親に愛されるのに。プライドを捨てて、上手に媚びれば可愛がられるのに、と疑問に思ったり馬鹿にしたりもしていたけれど、姉が自分自身を曲げず、折れず、果敢に立ち向かっていた事。理不尽なものに理不尽だと言い続けた事。愛してくれと吠え続けていた事……

それって全部実はすごい事だったんだと、大人になってから思った。私は今でも姉のその姿勢をただしい、と思う。まるで他人事のように。

身体が弱くちょっとした事で吐いたり寝込んだりしていた母から同じく虚弱な娘が生まれその事で姑に嫌味を言われたりしている中で、比較的丈夫で頑丈な娘(私)が生まれてきた事は母にとって救いで、報われたんだろうなと思う。それが全部悪い方向に作用してしまったのも、その流れも、残念ながら全部が容易に理解出来てしまう。

そして私が一人っ子だったり、順番が逆で生まれて来ていた場合にはまた、意思表示をしない、何を考えているか分からない、という理由で疎まれていたであろうと考えると、本当にただの運でしかないし、全部こっち側の問題ではない事も分かってはいる。

愛玩子と搾取子という概念、構図ではあるが、長じてあれは本当に愛だったのか?と振り返った時に、愛玩もまた搾取なんじゃないかと気付いた(現に私の人生は滅茶滅茶である)

毒親についてなんか書いてる人で、愛玩子側の立場から書いてる人ってあんまり見た事無いから、怖いんだけどさ…

私は間違いなく加害者だったけど、同時にどうしようもないほどに被害者でもあった(じっさい姉からの毒、怒りは全部こっちに流れてくるので)(祖母→母→姉→私)(最悪連鎖)(そしてどこまでも不在の父の存在)

 

そういう中で、私は妹らしく(?)幼き頃から姉の影響を受けまくり生きてきたけど同時に趣味が被らないようにも必死で、姉が青を選ぶなら私は赤、姉がTommyfebruary6派なら、ほな私はheavenly6…てな感じで生きてきた人生。姉が一人暮らしを始めたり結婚したりで離れて暮らすようになってからは自然と青も選べるようになったし、february6とも和解(?)を果たし、何も深く考えずに選び取る事が出来るようになっていった。

だから私には家族間で同じアーティストを応援するって、およそ考えられない感覚で

そもそもこちらの趣味はずっと馬鹿にされてきたし(RADとかヤバかったですわ特に)(全否定されてた)だからこっちも馬鹿にし返していたしで、一生ギスギス。

全く分かり合える感じでは無かったので……(その中で、極稀に共有し合えるものがあった感じ)(w-inds.、坂本真綾、堂島孝平、クラシック等……)

 

おかげで新しく何か好きになっても絶対隠す人間になったし、否定されたくないから最初から興味の無いふりをしていた事を思い出すと、怒りというか、悲しくなる。

特にお笑いに関しては好きな芸人が居てテレビで見てても絶対に姉の前では笑わないし、何が好きか、誰が推しかとか気取られないよう、頑張っていた。

別に好きなら好きで堂々としてれば良かったんだけど、それが出来てなかった事が何より悔しいかもしんない。何より、(推しに)申し訳無かった時期が長くあった。

 

実際に青より赤派だったのは本当だし、heavenly6が好きだったのも事実だが、姉への逆張り意識が無かったとしてもそうだったかと言われると、分からない。どっちも好き、どっちも良い、で生きられたら良かったけど、今も姉が存命だったとして、そうはいかなかっただろうなという事も分かる。残念だけれど。

 

この半年狂い続けてきたMAZZELだけれど、私が初めて興味を持ったきっかけがラヴィット!で見たエイキが矢島舞美ちゃんにそっくりで、舞美ちゃんみたいな子がおる!と思ってググったその時なので、私のMAZZELの入り口にはエイキが居てくれたんだなぁと思う。もう、エイキはエイキで、舞美ちゃんは舞美ちゃん、なんだけれど。

今でも似てるな〜と思う瞬間はある。麗しい見た目はもちろんの事、スポーツに打ち込んだ過去の経験や、真面目さ、誠実さ。誰よりアツいその中身。エイキは舞美ちゃんにそっくりだし、セイちゃんのフガフガは愛理のフガフガを彷彿とさせるので、℃-uteのオタクはMAZZELもお気に召すんじゃないかしら?などと初期の頃は考えていたものだ。

姉という人は結構なハロオタで、中でもとりわけ℃-uteが大好きな人間(だから必然的に私はBerryz派になった)(逆張り根性)だったので、今も姉の人生が続いていたなら、MAZZELにハマっていた未来ももしかしたらあったのかも知れないな〜などと考えている2026年の初夏。

ただそうなっていたとして、仲良く一緒に応援出来てたのか?と考えると甚だ疑問で(っていうかまずありえない話で)

家族仲良く同じ人間を応援するって、非常に健全で素晴らしい事ですね…と思うけど 

我々には一生かかっても無理だっただろう事も残念ながら分かっている。

大人になって、ほんのちょっとずつ関係性がマシになってもいったけど

我々が真の姉妹になれる(かも知れなかった)その前に姉という人は死んじまった。

そういうワケだから私はやっぱり今もこの広い宇宙の片隅

ひとり静かにひっそりと

死んだように でも まだ

息を潜めて 生息しているのです。