ゆるやか下降~のっそり上昇~

ひきこもりだけど映画館に入り浸ってる女。場面緘黙当事者。フェミズム勉強中。

ララバイ

母が「サラバ!」を読んでいる。

 

 

私は西加奈子が好きだ。

正確には、西さんの書く、自意識にがんじがらめになっていて、

生きるのが大変にしんどそうな女たちが、大好きだ。

 

初めて読んだ西作品が、私は「炎上する君」だった(単行本で)

当時、ピースの又吉さん(私はお笑いオタだった)が帯を書かれていて、

ブログでも熱く語られているのを見て、購入を決意した。

 

 

「甘い果実」が一番好きだった。

一人の、デビューもままならない作家志望の主人公が、

自分と同い年、同じような境遇のナオコーラに激しく嫉妬し、

愛憎を燃やすと言うお話。

私にも、かつて身に覚えがあった。

あの主人公(「私」)が、ナオコーラに抱く激情を、

かつて私も一人の女子に対し、激しく抱き、焦がれていたのだ。

 

あれから5年。

その後も、きりこについて、円卓、肉子ちゃん・・・と、

順調に読破を重ねて来て、

その間色々ありフェミニズムに目覚め、

前とはまた違った視点から読み進めるようになり、

西さんの書く人々の愛おしさに、私は何度も泣き、そして笑った。

 

 

で、「サラバ!」

私はいつも小説は最初の1P目、1行目を読んで、

「読みやすそうだな」

「これなら読める!」と思えたものだけを購入する事にしてる。

漫画は冒険してジャケ買いとか出来るけど、

小説は中身が確認出来るので、

絶対一度見てから買うようにして、いる。

 

西さんの文章、私は読みやすいと思います(私はね)

「私史上・最高に読みやすい文章を書く作家」は、

私の中では永遠に山本文緒がナンバー1なのですけど、

西さんは今現在、2位くらいです(私の中で)

どうでもいいですね。

 

 

私は西さんの書く、自意識がエラい事んなってて、

生きるのが辛いって人に非常に感情移入して見ているのですけど、

「サラバ!」は、私は歩(主人公)でしたね。

家でのポジションが、完全に一緒でした。

歩には貴子と言う、凄まじい姉が居たけれど、

私にも一人、あそこまでじゃないけど、すごい奴が、居る。

 

 

幼い頃、姉はよく泣いていた。

泣いて、喚いて、あらゆる不満を母にぶつけ、

何とかして今の状況を「改善してくれ」と訴えていた。

 

母の育て方は、どう見たって問題があった。

姉は喋りが上手く、話に妙な説得力があり、

親にも公然と言い返していた。

一方、私は緘黙で、子供の頃は親にべったり、

何とかして姉よりも、

親の愛情を獲得しようと、必死こいてる子供でもあった。

私は、嫌な子供だった。

それを見抜かれない為いつも必死だった。

 

私は親、特に母親に可愛がられていた。

姉妹の間で、明らかなる格差があった。

私の「80点」を母は褒めても、

姉の「100点」を母が褒める事はついぞ無かったし、

姉が100点を取る事は

いつも当然の事となっていた。

 

 「毒親」という概念を知り、

色々「あるある」を見ている内、

ウチの家庭環境とまっっったく同じケースがごろごろと見つかり、

どんだけ模範的な家庭(?)だったんだよ・・・と最初の頃よく思いました。

それぐらい、「毒親あるある」を地でいっている感じです。

残念ながらね。

 

 

そんな母が、私が買って本棚に並べていた「サラバ!」を、

何故か今読んでいる。

テレビで何度も紹介されているのを見たからだと思う。

母親は「円卓」も読み終え、

「めっちゃ面白かったわ」(多分会話文が)と言ったが、

サラバ!についての感想は、今のところ聞けていない。

上巻は既に読み終え、今、下巻を読んでいる最中だ。

 

 

私は聞きたい。

貴子を見て、何か感じるものは無かったか。

何か思い出す事は無かったかと。

このひとつの家族は、決して特殊なものではなく、

うちの話でもあるのだ、と。

 

 

もうすぐ下巻も読み終える。

その時何か聞けるだろうか。

 

一周忌

今日は法事だった。

父方の祖母の一周忌なのだ。

1年前に祖母は亡くなった。

もう一年が過ぎ去ったのだ。

光の速さで。

 

家の話をする。

私の母は、所謂「毒親」というやつだけど、

祖母はもっっっっと凄まじく、

毒祖母というやつだった。

男尊女卑・差別意識が凄まじく、

人種差別、障害差別、部落差別、

ありとあらゆるヘイトを日々まき散らしているような人だった。

 

多分、小学生くらいの頃からだったと思うけど、

私が言う事を聞かなかったり、何か悪い態度(自分にとってのね)を取る度に、

朝鮮人」「同和」「キ〇ガイ」と怒りながら、

時には笑いながら罵ってきた。

私はその頃まだ意味なんか分かってないけど、

とにかく、使っちゃいけない(使わない方が良い)言葉を使い、

特定の何かに属する人を叩き、心の底から見下しているんだと言う事だけはよく分かったのだった。

 

母の事も、よく孫ら(私と姉)の前で罵り、呪っていた。

母の家は昔懐かしい平屋で、裕福な家ではなかったから、

祖母はそれにも、いつまでもいつまでも文句をつけていた。

その土地の事を、良くない、自分で考え出した蔑称で呼び、

私にもそう呼ぶ事を強要してきたが、

私は最後までその言葉は使わなかった。

 

 

本当にクソだったなと思う。

長じて、意味が分かるようになってからは(それ以前からもだが)

心の底から軽蔑したし、疑問だったし、

 それ(差別発言)以外で、他にどれだけ優れた部分があっても、

私が祖母を認める事は最後まで無かったし、今も無い。

忌まわしき血。

遺影の写真にすら何やらムカついて、睨み返したりする。

 

 

ありとあらゆるヘイトがあった。

投げつけられた石を、投げ返す事は出来なかった。

それは相手が老人だから、紛れもなく祖母だから、

声を上げたって潰されて来たし、

それでもあの「思想」に迎合する事だけは拒んで来て、

それが唯一無二の私のアレに対する反抗であったと言える。

「お前の言ってる事なんか私は絶対認めない」と、

「私は貴女を軽蔑する」と

言った事は一度も無いけど(言ったら倍の強さでキレ返してくる)

その「言わない」事こそが私にとって強みだった(と思っていた)

こいつと同じ所にまでは落ちない、という、

小学生の頃の私の誓いであった。

 

 

・・・まぁそれ以前に緘黙なんですけどねー・・・(・・・)

その事でも散々祖母にはキレられましたね!!!!

私は場面緘黙らしく(?)家では軽妙に喋る子供でしたが、

祖母相手には家の中でも緘黙発動してて、

話しかけても私が返事しないもんだから、

「つ〇ぼ!」をひたすら連呼してくるとかねw

本当にクソですね!!改めてクソだ!!!!!

物事が自分の思う通りに運ばないとそれはもう怒る人でした。

自分が敬われて当然、と言って憚らないところも嫌でしたし、

毎日何かしらは絡んできて、風呂にまで乗り込んできて、

それを全て「心配だから」で片付けようとするのが、もう本当・・・。

思い出すだけで、今でも疲れる。

すごい人の気力を奪うのが上手な人でした。

 

 

そんな祖母の一周忌。

本当に、「死なないんじゃ・・・」と思い続けてきた人の死は、

今でも現実感が無く、

でももう「居ない事」が当たり前になっていて、

奴が居た頃、一体どんな生活していたんだ?と疑問に感じたりします。

思い出せない中で、引っ張り出して、書いてる。。。

 

 

毒は連鎖します。

祖母の毒は母に流れ、

母の毒は姉(母親からの直接的な被害に合ってきたのは、私ではなく姉なので)へと流れ、

姉の毒は私へと・・・。

脈々と受け継がれてきたものを、ここで断ち切らなくては、と言う思いは昔から強かった気がします。というか、そうです。

私は最初(物心つく頃)から結婚したいという意欲が全く無く、

むしろしたくない、絶対しないと誓っていて、

それは何かにつけ祖母に叩かれる母の姿を見ていたからだし、

それをそのまま娘(姉)にぶつける姿を見ていたからでした。

子供産むくらいだったら、死んだ方がマシだ、と、

昔本気で思っていました(今でも、少し)

 

 

あぁ・・・まとまらないな。

また、ちゃんと書きます。書きたい(希望)

 

2つめの記事

自分の話をしようと思う、とのたまい11日が過ぎた。

書こう、書かねばと思いながらも、ほっといたらほんとに全然書かない。

首根っこ掴んで、「ほら、書けや!」と机に向かわせてくれる人が心底欲しいが、

その役目は己にしか出来まい。

歯ぁ食いしばって机に向かう。

 

自己紹介的なものをしようかと思う(まずね)

私は兵庫県在住のヒキコモリロリン(@RAD)

現在の年齢は23歳、

12歳、中学一年の夏から不登校になり、引きこもりになる。

11年選手である(なっげーーー)

緘黙女子。

場面緘黙という名前を知り、

「あ、自分それだわ」と気付いたのが3年前。

フェミニストデビューをしたのも3年前。

あと、これも自分の人生にとって大事な事なので書くが、

私は腐女子である。

11年腐女子である。

もう「特別好きなジャンル・カプ」というのが存在してないのだけど、それでもまだしぶとく腐っているし、これからもそうだろうと思う。

足を洗う気は未だ無い。

 

 

緘黙である事、

腐女子である事、

引きこもりである事。

 

この3つが私の送ってきた人生に取っては、

切っても切り離せない重要ワードなのです。

 

はじめに

はじめまして。

場面緘黙と社会不安、対人恐怖を持つ、

11年目の引きこもり生活者です(23歳めす)

 

ブログを始めるのはこれで4度目。

1度目は2006年の春、

2度目は2011年の春、

3度目は2013年の冬。

途中までは書けても、結果的に、

作っては放置し、の繰り返しでした。

その事に思うところありがならも。

 

そこでは私の日常を綴る、と言いながらも(書きながらも)

ちっとも深いところまで書く事は出来ず、

本当に思う事は何も書けてなかった気がします。

 

 

ですのでもう、4度目の正直。

 

自分の話をしようと思う

 今の話をしようと思う

本当の話をしようと思う

 

 

自分の話をしようと思う。

どうぞよろしくお願い致します。