2020
あけましておめでとうございました。
ついについにの2020年ですね。
2010年代も終わりを迎えたですが、とうとう最後まで「201×年」という数字(とその事実)に慣れる事なく10年代は光の速さで過ぎ去りました。私の時間は止まっている。
少しも慣れるという事の無い人生。
新年早々世界ではしんどい事ばかりが起こっていますが
どうにか生きていけたらな、と思ったり思わなかったり。
毎日死にたくなったりならなかったり。
そして思うこと。
元日の夜中、眠りに落ちるまでベッドで泣きながらごちゃごちゃ考えていましたら、ひとつの結論に達しました。私が14歳以降考え続けている事ってのはつまり「生きられないなら死にたいし、生きられるんだったら生きたい」というごくシンプルな事だったんだなぁという事。私は死にたいより何よりまず「生きられない」と強烈なまでに思い続けて生きている人間だからです。14歳から今まで。
生きられない、生きていかれない事が分かっているから死にたいっつう、そんだけの事。
これも多分、今まで言語化出来ていなかっただけでずっと感じていた事ではあると思うんですが、でもこれは最近の大きな気付きのひとつでした。
去年至った考えのひとつで、「私は痩せたいし、痩せねばならぬと思っているが、それは今の肉体の否定ではない」というのがあって、これも初めて言語化出来た時には一人でものすごく納得してたし、感激した。それが私の真理だと思ったから。
他の誰に教わったでもない、何に影響を受けたでもない、これが私の最善の答え。私が長年考え続けて来た自分の体形、容姿に対しての最良の向き合い方だと思いました。
人によって正解はまちまちだと思いますが、私の「正解」はこれだな、という感じ。
私は痩せたいし痩せねばならぬと思っているが、それは今の(今までの)肉体の否定では無い。
ルッキズムに支配され、折れ曲がりそうになる度、胸に刻み込んでいたい。
そういう、自分の中だけの、意識の話だけど、ずっとモンモン考え続け悩み続けて来た事に対して、ある日突然啓示のように深く理解出来る日が来たりする。
私はそういう時に、生きてきて良かったなと思ったりする。
考え続けて来て良かったなと思う。
それが生きる力にはなってくれないけど、でも少し無為に過ぎ去った時間を慈しむ事の出来る、そんな力がある気がします。時々出会えるそんな瞬間が、私には非常に大事で愛しいのです。
今年の目標的なもの。
例年通り「自立」「自活」(永遠の2トップ)です。
日々消耗しており、一mmも出来る気がしねーけど。
「したい」と思っている事に変わりはありません。ハイ。
英語と韓国語も理解したい、使えるようになりて~~~と思いながら手付かず。。。いつやる気になれるのか。
ブログも死ぬほど書けてないですけど、本当に書く気が無い(言い切った)し、あってもなかなか行動に移せない。日々怠さとの闘いで生きています。今年はもうちょっと書けたらいいね(他人事)
あとはアレ、理想は坊主にする事(笑)マジで自分のザ・剛毛多量~~~!な髪(質、量)に長年うんざりしているので、坊主に対する憧れは非常に強くありまっする。現状引きこもりなんだから余裕で出来るはずなんですが、しかし一歩踏み切れなくて尻込みし続けている状況。しかし、身近の頭髪の無い女(※姉)(※病気)の様子を見ていると、結構どうにかなっているので、「私もイケそうだな…」と思い始めた最近です。
坊主、マジのマジに、したい。それか青いベリショ。青髪に対する憧れも非常に強い。アデル、ブルーはなんとやら~の時のレア・セドゥが理想なので…へへ……(いいよね…)
坊主に憧れ出したのは、ご存知フュリオサ姉ちゃんの影響ですよ(分かりやす~~~い)
今年も、どうぞよろしく。。。
では、また。