人生の目標(のようなもの)
私には昔夢があったりやりたい事があったりしたけど、それはことごとく叶わなかったし出来なかったので、今人生における希望や目的ってのがほんとうに無い状態なんだけど、ひとつだけ今、人生の目標というか、生きる指針のようなものが生まれていて、それが「40歳で死にたい」というもの。
昨年、雨宮まみさんが40歳で亡くなった。
それからずっと、「私も40で死にてぇなぁ」と漠然と考えてたりする。
まみさんは私の3人居る文章における師匠の内の1人だった。
あとの二人は90年代のネットアイドル・南条あやさんと、もう一人は同世代の星・少年アヤちゃんさんなのですが。(Wあやである)
私が南条さんを知ったのは引きこもり出した13年前(2004年)の夏。私はその頃12歳で、そりゃもう凄まじい影響を受けたものでした。南条さんの真似して、ハンズに刃物探しに行ったり剃刀でうっすら手首カッターしたりね・・・まぁそんな深く切った事は一度も無かったです。出来んかったし。
当時のブログは完全に南条さんの文体で、それっていうのはつまり南条さんが使っていた時代(90年代後半)のネットの文章なんですよね。だから、(汗)とか(爆)とか(微笑)とか、そういうのを連発してました(笑)あと、自虐ツッコミと・・・。
南条さんの文章はどこまでも明るくおかしくて、そうしなければ自分の事を語れなかった彼女の痛みを12歳の私は自分の事のように感じていたのです。
南条さんは18歳で自殺した。
だから私にとって「18歳」というのはずっと「南条さんの死んだ年」で、その事は18歳になるまでも、実際に18歳を生きていた頃もずっと意識して考えていた。
そして死ねるもんなら今死にたい、と確かに思っていた。
私の希死念慮は10代の時が一番強かったけど、別に大人になった今だって普通にあるし、死ぬ事は常に頭のどっかにはあって、考えてる・・・。
「40で死にたい」というのは目標っつうか憧れだけど、
今のこれは10代の時、南条さんに憧れて彼女と同じ年に同じように死にたい、と漠然と考えていた時と全く同じな気がする。
私は何かずっとそんな感じです。
7度目の東京
東京に行って参りました。7回目でした。
今回の最大の目的は、池袋は老舗の名座・新文芸座劇場にて行われた、マグニフィセントな絶叫上映。ほんとこれ・・・最高だったのです。こうゆうのです↓↓
本当に・・・行けてよかった・・・・っ!
今回は実に充実してました。大体思ってた事は出来たかな。
東京一人で行くの4回目なんですけど、初めてホテルに泊まりました(笑)
思えば10代の頃・・・駅のトイレや、公園のベンチや、良くてネットカフェ。
ろくでもない所で寝泊まりしていたものでしたが(本当に何やってたんだ)
ついに自分でホテルを取り、宿泊するという人間じみた事が出来ましたよ。
一人で外食出来ない人間だけど、何とか出来たしね・・・頑張ったなと思う。えらい。
夜行バスに揺られ朝一で新宿につき、そっから築地に行ってすしざんまいで目当ての海鮮ちらしを食らい、六本木に向かい激混みのミュシャ展→からのヒルズでマーベル展!(これの為にHuluで必死こいてマーベル作品見倒した)→池袋に移動、ホテルに荷物置いてからの新文芸座、マグニフィセントセブン絶叫上映!
ミュシャ展は本当に混んでいましたが、朝一番で行ったからまだマシでしたね。帰る頃(昼頃)見たら、マジでどこまでも列が続いていて・・・。「ただいま140分待ち」という文字に、血の気が引いた・・・。恐るべし、ミュシャ。展示は本当に良かったです。
あとスカイツリーも行ったんですけど、やっぱり待ち時間が1時間以上と出ていたので、諦めて下から拝んで帰りました・・・また次回、リベンジしたい。
10代の時は上京する度上野と浅草に寄っていたんですけど、今回久々に浅草で降りて、懐かしかったですね。
やっぱり好きな街だな、と思いました。うん。
絶叫上映は人生2回目でした。
前回の時にクラッカー持って行ってなかったので、今回は反省も踏まえ8発のクラッカーを用意していました。本当は(タイトルにかけて)7発にしとこうかと思ったんですけども、あえて「荒野の8人目じゃ~!」とか抜かして(?)
上映前にスタッフ様が「クラッカーの持ち込み上限20発までとか言ってたけど、それじゃ足りねぇだろ!」つって客席にバンバンクラッカー投げて寄越してくれたので、結果、13発ブチかます事が出来ました。自分等が決めた上限なのに、「やっぱ足んねーなコレ」とクラッカー投げてくれる心意気。最高にマグニフィセントでした。
愛と誇りと情熱に満ちた、素晴らしい空間。
私は結局緘黙クソ野郎なので発声とか絶叫とかは難しいのですけれども、あの空間に居られる事が本当に嬉しかったです。
ありがとう新文芸座。ありがとうマグニフィセントセブン。
上映終了後の怒涛のプレゼント祭りにて、見事マカロニウエスタンDVD集が当たり、頂いて帰りました。本当はポスター狙いだったんだけど!でもほんとに嬉しかった。
非常に充実した旅を送れ、今回は満足出来たと思います。
初めて東京に行った14歳の時は、とにかく追い込まれていて、死に場所を求めて行ったようなものでしたが、
もう私にとって東京はただの首都、ただの街になってるんだなぁと思います。
自分が大人になったと感じる時は、そういう事に気が付く時です。
卵と穴子が異様に美味く、やはり東京は穴子の街なのだと再認識(?)
激混みのミュシャ展。早朝である。
ヒルズに佇むアイアンマンパイセン(でっかい)
最早神々しさすら感じる・・・(※劇場視聴6回目)
「どちらかと言えば守りたい!~イーサン・ホークと一夜を共に~」(最高のタイトル)(発案者に500000点あげたい)オールナイトも行きたい・・・行きたかった・・・うっ(行けない)
なんか思い出したこと
生前婆さんと喧嘩(大概罵られる)をしていた時。
差別用語での罵倒の他に、よく「お前の家だと思うなよ」とも脅されていた。
孫だから、仕方なく住まわせてやっているとのニュアンスだ。
うちは一体築何十年なのかさっぱり分からないが半世紀は過ぎているのは確実な古い一軒家なのだけど、祖母のその宣告(呪い)通り、「ここが自分の家である」という感覚が希薄に私は育った。
確かに生まれ育った家ではあるけど。
私にはずっと実感が無い。
単純に、あんまり好きじゃなかったというのも大きいのかな。古い、日本的な家屋(洋室が無い)私は幼少の折から洋風なもの(カントリーアンティーク)に焦がれておったし、同級生の素敵な家を訪れるにつれ、自分の家との違いに羨ましく思う事も、多々、あった。何より住んでいる人間がな。私には愛国心が無いけれど、家を愛せない理由はそれと同じなのだと思う。
昔。
やりたい事があったし、叶えられると思っていたいくつかの事があった。
その中のひとつ。最初の一歩であり、最大の関門であったのが、家を出て独り暮らしをする事…であった。これは、引きこもり出す前も、以降も、ずっと考えていた事で、私には叶って当然の目標であったと言える。本当に叶えられると思っていたからだ。
こんなところで終わりたくない、こんなところで死ぬわきゃいかない。
そしてこんなところで死ぬような人間じゃないと
私は確かに思っていた。
今。
一生ここに居続けるしかねぇのかなー、と思い始めている。ぼんやり。
13年、ずっと持ち続けていた「こんなところで終わりたくない」「終わるような人間じゃない」という、熱い気力のようなもの。なけなしの自尊心。
それが削がれて、削がれて、ついに無くなってしまったみたい。
生きていかれる気がしない。
おひさ
2017年が明けて実に4か月が過ぎたワケですが、本当に全然書かないですね。今年入ってから小説もさっぱり書けてません。ちまちまとは書いてるけど。朝方になり生活形態が変わった為、夜中にパソコン出来ないのが大きいですね(言い訳)
書きたい、書かなきゃなと思う気持ちは当然あるんですよ。
でもとにかくパソコンに向かうのがしんどい、しんどい。
向かっても、キーボード打つ気力が無くて、そのままズルズル・・・という感じ。
本当に書くのいやになったな。
日常、これと言って変わりありません。変わらずひきこもリンリン。今年で13年目です。
この期に及んで、すげー太りましたけど。悪化しかしない人生・・・。
姉の結婚話が進んでおります。ウケます。
「姉の婚約者」なるワードを平気で今使っている事に一人でウケてます。
絶対一生で使う事無いセリフだと思ってたから。
まぁ私が使う事も無いと思ってたんだけど(うーんん)
色々思うところありますが、相手方のご両親というのが、熱心な社会活動もされている方で、反安倍の思想を持っている・・・という点が非常に好感度が高く、語り合いてぇ~~~!って感じです。ミートゥーだよ!!
正直、本人(義兄になる人)には会いたくないけど、その親には会うのめっちゃ楽しみです(笑顔)へっへへ・・。
最近はなんかもう、ひたっすら映画見てますね。
去年からよく見るようになったんですけど(昨年は劇場で20本見る事が出来ました)、今年は憑りつかれたように見てる(?)
これでもかってくらい見てます。今映画館でやってるのも、往年の作品も、色々。色々。
特に、マグニフィセントなアレで、例によってわたくしもイーサン・ホークとイ・ビョンホンに魂を射貫かれたので(グディビリです)、両氏の出ている作品は全部見よう・・・と今している真っ最中~。ガタカはいいぞ。
今年のベストを訊かれたら、私の中では今んところは、「わたしはダニエル・ブレイク」
人間の権利と尊厳の戦い。涙無くしては見れません(久々に劇場で泣いたよ)
まぁそんな感じで、姉の結婚にウケて(ウケんな)、日常に病んで、映画に逃避して・・・って感じの日々ですね。
夏の銀魂(映画)、見るまで死ねねぇ~~~!って今年の初めまでは意気込んでたけど、最早忘れかけていて、ふとした時に思い出して、「あぁ、そういや映画、あったね・・・(やるんだったね・・)」って感じです。銀魂、というか自カプへの愛憎で死にそうです。
相変わらずツイッターでも馴染めなさすぎて、人を見ると病んで、界隈の人々への憎しみ募らせすぎて最早どうでもよくなってきましたね。
自カプへの愛はあるんだけど。
とにかく界隈に疲れ果ててるな。
まぁ、そんな感じです。
あ~、書けねぇ、書けねぇ・・・。唸りながら生きてます。しんどいす。
まみさん
「こじらせ女子」の生みの親である雨宮まみさんが亡くなった。
40歳という若さで。
昨日から、ずっと彼女の事を考えている。
私が雨宮さんを知ったのは、記憶の限りでは確か4年前。
2012年の春頃にツイッターを始めたのだが、色々見ていく内にフェミニズムに目覚め、その過程で少年アヤちゃん(当時はまだオカマの自称、『私』という一人称だった)や、田房永子さん。瀧波ユカリさん、能町みね子さん・・・と言った方々を知っていく中で、いつの間にやら、当然のように雨宮さんの存在も知るに至った。雨宮さんの、どこまでも優しい、真摯な言葉の数々。それがどれほどの深さで、自意識に雁字搦めになっている多くの日本の女性の心をそっと掬い上げ、振り解いてくれた事か。私はそれを、身をもって知っている。ずっと漠然と抱えていたモヤモヤを、言葉にしてはっきりと示してくれた人だからだ。
私は「女子をこじらせて」は持っていないし、読んだ事も無い。
「東京を生きる」も、東京に住んでいないので買ってないし特に興味も無い。
私が唯一所持している、雨宮さんの著書。
「女の子よ銃を持て」
WEB連載の頃から読んでいたのだけれど、もう、このタイトルに引き付けられ、それこそ撃たれるような衝撃を感じたものだった。
「『美しくなりたい』と思う気持ちは、私の中では『自由になりたい』と同義です」
この言葉を、私は一生魂に刻み込んで生きていこうと心に決めている。声に出して言ってみる。美しい言葉だと思う。
私にとって、雨宮さんは『代弁者』の女性の内の一人だった。
言いたい事や、感じている漠然としたモヤモヤ。
それらを言葉にする術を持たず、またその力も無い私にとって。多くの人にとって、そうだったはずだ。
雨宮さんの訃報を知り、最初に感じた事は「あぁ、人って死ぬんだな」だった。
当たり前の事だけれど、やっぱりいつも忘れている。忘れて、適当に時間に流れていく。
いつかお会いしてみたかった。
相談も、送ってみたら良かったな。
本当に、大切な人を亡くした。その感覚が消えません。
どこまでも生きづらさを抱えた女性の味方であってくれた人。
私も、忘れない。
ありがとうございました。また、どこかで。
県立美術館
藤田嗣治展に行って参りました。
10年前、生誕120周年の頃にも京都で展覧会が開かれており、
絶対に行きたいと思っていたものの、行けず、あれから早10年。
10年経ってようやく行けました。
まさか10年もかかるとはねー。10年先も、こんな感じとは。
やっぱり、「10年前に見れていたら・・・」とはどうしても思います。
仕方ないです。10年前の後悔を、今まで引きずりに引きずって生きて来たワケですからね。
でも、久しぶりに展覧会を見て感動出来た気がします。
色々な習作や、猫や裸婦像(見たい絵があったんですけど、それは今回は展覧されておらず)があって、そして、戦争画。
「アッツ島玉砕」は、やはり凄まじかったです。
一生に一度は生で見たいと思っていたので、見られてよかったです。
左が10年前ので、右が今年のポスター。
また10年後。生きていたら、また会いに行きたいものです。
いっちねーん
何だか昨日でブログ一周年だったみたいです。
えぇ、全く気付いていませんでした。はてなの方から、「一周年ですね」メールが来てたのを見て、それで思い出しました次第であります。
昨日はですね、ぶつ森(地味に村長をやっています…)で、真面目系キュートな小リス、ララミーさんのお誕生日だったので、久しぶりに3DSを広げ、祝っていたところです。
ララミーさんおめでとう。笑顔で毒づく貴女が村長は大好きです(にっこり)
そんなワケで、もう1年です。
私は、時間の感覚が年々分からなくなっていきます。
実感が無いのです。今が「2016年なのだなぁ」という、自覚。
本当にそんなに時間が経っている気が一切、全くしないので。
私は、今も、ずっと、
あの2004年の時間を生き続けているような気が、ずっと、ずっとします。
んなわきゃ無いんですけど、この感覚は多分、これからも一生変わらない気がしています。だってほんとにずっとそうなんだもの。この12年間、ずっと。
時間の実感の無い私は、今も、日々を大切に慈しむ事は出来ないままです。
一年と聞いて、「短い」「あっという間」「とるに足らない時間」という印象ばかりが浮かび上がります。
「自分の為だけに使える一年って、結構長い」
いつか私もそう言っていたのに、何だかもう、分からない事ばかりです。