まみさん
「こじらせ女子」の生みの親である雨宮まみさんが亡くなった。
40歳という若さで。
昨日から、ずっと彼女の事を考えている。
私が雨宮さんを知ったのは、記憶の限りでは確か4年前。
2012年の春頃にツイッターを始めたのだが、色々見ていく内にフェミニズムに目覚め、その過程で少年アヤちゃん(当時はまだオカマの自称、『私』という一人称だった)や、田房永子さん。瀧波ユカリさん、能町みね子さん・・・と言った方々を知っていく中で、いつの間にやら、当然のように雨宮さんの存在も知るに至った。雨宮さんの、どこまでも優しい、真摯な言葉の数々。それがどれほどの深さで、自意識に雁字搦めになっている多くの日本の女性の心をそっと掬い上げ、振り解いてくれた事か。私はそれを、身をもって知っている。ずっと漠然と抱えていたモヤモヤを、言葉にしてはっきりと示してくれた人だからだ。
私は「女子をこじらせて」は持っていないし、読んだ事も無い。
「東京を生きる」も、東京に住んでいないので買ってないし特に興味も無い。
私が唯一所持している、雨宮さんの著書。
「女の子よ銃を持て」
WEB連載の頃から読んでいたのだけれど、もう、このタイトルに引き付けられ、それこそ撃たれるような衝撃を感じたものだった。
「『美しくなりたい』と思う気持ちは、私の中では『自由になりたい』と同義です」
この言葉を、私は一生魂に刻み込んで生きていこうと心に決めている。声に出して言ってみる。美しい言葉だと思う。
私にとって、雨宮さんは『代弁者』の女性の内の一人だった。
言いたい事や、感じている漠然としたモヤモヤ。
それらを言葉にする術を持たず、またその力も無い私にとって。多くの人にとって、そうだったはずだ。
雨宮さんの訃報を知り、最初に感じた事は「あぁ、人って死ぬんだな」だった。
当たり前の事だけれど、やっぱりいつも忘れている。忘れて、適当に時間に流れていく。
いつかお会いしてみたかった。
相談も、送ってみたら良かったな。
本当に、大切な人を亡くした。その感覚が消えません。
どこまでも生きづらさを抱えた女性の味方であってくれた人。
私も、忘れない。
ありがとうございました。また、どこかで。