自カプと自ジャンルが辛いなぁっていう話
相変わらず、書けもしないのに小説を書いてはヤンヤン病んだり愚痴ったり。
ジャンルは替わりましたが、字書きは細々と続けております。そのせいで色々しんどくなったり死にたくなったり。こんなしんどくなるんだったら、何も生産しないままずっと消費者(読み専)で居続ける方が遥かに精神楽だったなと思う。でもその頃はその頃で自分が何も生み出していない事に対し引け目があったし、ずっと「私も何か生み出したい」とは漠然と考えていたんだよね。だから今やっと「(一応)字書きです」と名乗れるようになった事で、少なくともその引け目は消えたので・・・何とも言えないです。どっちにしろ、私はずっとしんどいよ。しんどいままずっと腐女子なんぞをやっているのだよ。
一年ほど前にもこんな事↓↓
言ってましたけど、ジャンルとカプが変わっただけで特に何ら変わっておりません!書けば書くほど嫌になります。この一年でピクシブの作品評価はなんか知らんけど点数制からいいね!制に変わりましたけど、だから何だって言うんだろう。
アレですよ。
前回のジャンルはね、原作が10年以上連載してる人気作だし、もう「このカプと言えば、〇〇さん!」とか、そういう土壌がしっかり出来上がっている世界で。特に私が好きなカプというのが、皆本当に仲の良い人たちで成り立っている世界だったから。そこに上手い事入れなくて、入れない事で死にたくなったりしてたのですけど。
今のジャンルは、今年出来たばっかりの界隈なんですよね。今年公開された映画なので(バラす)
だから、私が前ジャンルの時にしていた「既に出来上がってしまっている強固なコミュニティの中に入るのは難しい」っていう言い訳は、今のジャンルにおいて通用しないんですよね・・・みんながみんな初心者って話だから。
いや、今年出来たばっかつってももう既に半年は過ぎたワケだから、十分な規模だとも思うんですけどね・・・(実際人気のあるジャンルである)
もう、なんか、一人静かに創作して適当に作品上げてったら良いだけなのかも知れませんけど、私は交流がしたいし、出来ない事に絶望してるし。こんな、今年出来たばっかの生まれたてほやほやのジャンル、初心者ばかりのジャンルにおいても上手く馴染めなくて、人々の触れ合いを外から指をくわえて見ているしか出来ない事が本当にしんどくて苦しいです。
ピクシブもツイッターも全部やめたい、やめたいよお~~~!(でも人様の作品が見たいんだよ~~~!!)
昔は、素晴らしい作品を生み出してくれる人たちの事を尊敬して、「いつか私も、こんな風に」と思えていたのが、最早見れば見るほどしんどい。正直言って、自カプの人たち全員ブロックしたくてしゃーーーっない。
実際ツイッタは何人かブロックしちゃった。ピクシブのミュート機能も使ってる・・・。
同担拒否っていうか、最早ツイッター上で仲良くキャッキャしてる腐女子全員ブロックしたい勢いである。
ほんとツイッター、辛くない?私は辛くてしゃーないです。
何が一番辛いって、ジャンルへの馴染めなさ、居心地の悪さがそのまま自カプや自ジャンルへの憎しみとなって現れてしまう事で・・・今のジャンル始めて4ヶ月くらいですけど、もう既に結構自カプの事憎いですもん(笑)
私は毎回こんな感じで、最終的にほとほと嫌になってジャンル替えるんですよね・・・それでも腐女子自体を卒業する事はなく、ダラダラと続けて来てしまった。もっと早くに、やめられたら良かったんだけど。結局やめられませんでした。
人との交流が難しいんだったら、私は人々の触れ合いを高みから神の視点で眼差し、淡々と作品を上げ続けるだけの職人になりてぇよ。なれる気がしねぇ。
私の10曲
知っている人は知っている。
NHKで「ミュージックポートレイト」という番組がありました。
「あなたの人生を彩る10曲」というテーマで、二人の著名人が各々の選んだ人生の10曲を上げて、語り合う・・・そういう番組。
私が特に印象深かったのは去年放送されてい満島ひかりと妻夫木聡の回で、その中で満島ひかりが坂元祐二との激熱エピソードを語っていたのが最高だった。私は坂元フリークである。坂元作品に出ている時の満島ひかりは最高すぎて最高なんて言葉じゃあとても足りない。私の敬愛する青春ゾンビさんに記事があるので、とにかく読んで。最高だから(丸投げ)
さて、私はテレビっ子だった。
小学生の頃は毎日学校から帰って来たらすぐさまテレビをつけ、フジテレビの再放送ドラマ(大体が「ショムニ」か、「人にやさしく」、はたまた「ウォーターボーイズ」だった。本当に狂ったように再放送していた。毎回律儀にちゃんと見た)を見て、その後に続くちびまる子ちゃんの再放送を見た後、NHK教育にチャンネルを変え忍たま乱太郎を見る。余裕があれば天才テレビくんまで見てた。
その後夕食となるのだけど、当時は台所にテレビが無かったので食事中にテレビを見るという習慣は我が家には無かった。
夕食が終わると丁度7時頃。
そしたらまた二階に上がりテレビをつけ、バラエティタイムが始まる。
バラエティが終わって、各局ドラマが始まる9時までの間のわずか10分くらいのCMの間で風呂に入り、上がるとまたテレビをつける。至福のドラマタイムの始まりである。どっかのOLより真剣にドラマ見てた。
一体いつ勉強してたのかさっぱり思い出せないくらい、とにかくテレビが好きな子供だった。ドラマが好きで、バラエティが好きだった。今もテレビは普通に見るけど、バラエティはもうあまり見ない。差別的表現や女性蔑視に溢れているものが多く、またそれを感じ取れるようになってからは見られなくなった。それで良かったと思う。
ドラマは今はワンシーズンに1、2本見るものがあるくらいだけど、小学生の時は映る限り各局全てのドラマを見てたので、すごいやる気と執念だったなと思う。別に、学校で翌朝女子たちと「昨日のあのドラマ見た~?」的な会話は一度もした覚えは無い。そもそもがみんなそんなドラマ見てなかった。私は自分の「見たい」という欲求のみに従い、ひたすら毎日テレビを見てた。それで特に親にも怒られなかったし、チャンネル権も私にあった。父親が野球を見る人だったけどテレビは家に3台あり奪い合いになる事も無かったので、良かった。
民放のバラエティが無理になった最近はよくNHKを見る。
私が毎週欠かさず見ているものは「バリバラ」「サラメシ」「グレーテルのかまど」の3本。あと映画がやってたら見るくらい。
ミュージックポートレイトも好きな番組だった。今はもう放送されていないけど、何度も「〇〇シーズン」と銘打っては蘇って来た番組なので、またいつか新シーズンとして帰って来るのだと思う。NHKは改変が多く、よくそういう事をする。
ミュージックポートレイトを見ている時、人の選曲を聞きながら同時に「私の10曲」をぼんやり考える事があった。「私だったら、どの10曲か」という。
どうにかこうにか選び抜いたその10曲を書いとこうと思ったので、綴っておく。
クソ長いよ。
1曲目 松本梨香「めざせポケモンマスター」(夢のはじまり)
はい、みんな知ってますね。
私はポケモンは金銀世代(多分)を自称しております。アニメも見ておりましたとも~~~!(ルビサファ編まで)
初代のポケモンOPソングであるこの曲。ノスタルジーで死にたくなるこの曲。サトシの「なりたいな、ならなくちゃ、絶対なってやる~!」という絶叫に勇気をもらっていた人がどれだけ居る事でしょう。最高だよね。
私にも夢がありました。人生の厳しさに打ちひしがれ、その夢が「もう叶わないかも・・・」と塞ぎ込んでいる時、よく頭の中に響いてきたのがサトシの叫ぶそのフレーズでした。「ならなくちゃ」、からの「絶対なってやる」です。勇気、湧くしかなくない?最高。夢を目指す人すべてに聴いて欲しい。
2曲目 iwish「明日への扉」(自分の声を好きになれた曲)
今は無き「あいのり」のテーマ曲であったこの曲。私はあいのりも好きで毎週見てた。
私事ですが、私は地声が大変に低く、こもっていて活舌も悪い。
子供の頃、自分の声が長らくの間コンプレックスだった(小学生の時の3大コンプ・声が低い、字が汚い、肥満)
初めてこの曲を歌ったのは12歳の時(2003年)不思議と自分の声がめちゃくちゃ良く聞こえて来て、歌っていて大変気持ちの良い曲だった。
「自分の声に合っている」直観的にそう感じられた。
それ以来この曲は私の十八番で、お守りのような存在だ。この曲を歌うと、不思議と気分が晴れ、自分の声を好きだと思える大切な一曲。今でも大好きな歌です。
3曲目 くず「全てが僕の力になる!」(初めて泣いた曲)
こちらも同じくフジテレビでかつて放送されていた番組から生まれた曲。
テレビで聞いてて「良い曲だな~~~」と思ってCD買って、帰って歌詞カード見ながらじっくり聞いてたら泣いてました。中1の時の話。
それまでどれだけ感動的な歌を聞いても泣く事って無かったんだけど、この曲はなんか駄目だった・・・ぐっさんの声の力強さよ・・・。
人生に起こる全ての事を「全てが僕の力になる!」と言い切ってくれる名曲。
本当にいい曲なので聞いてみてね。元気が出ます。
4曲目 yellow generation「扉の向こうへ」(人生を鼓舞する一曲)
死んじゃう(一言)
・・・アニメ(最初の方のやつ)「鋼の錬金術師」のEDテーマだったこの曲。
ハガレンには中学の時に狂ってて、私はロイエドが最愛でした・・・どうでもいいね!
このEDのエドがほんと綺麗でさ~・・・大好きだった。今回貼り付ける為に久々に見たら案の定死にたくなりました。15歳になった時、「これでエドと同い年だ~~~!」って浮かれてた日々が遠すぎて・・・青春。。。
この曲は歌詞が本当に力強くて、最初聞いた時には強い衝撃がありました。
中学の時、よく夜中風呂入ってる時に熱唱しては己で己を鼓舞していました。
「信じ続けるだけが答えじゃない」「もがき続けなければ始まらない」「突き破れ扉の向こうへ」・・・全てが、当時の自分を奮い立たせてくれる言葉でした。
本当に歌詞が最高なので貼っときます。悩める10代!ぜひ聴いて欲しい。
扉の向こうへ YeLLOW Generation - 歌詞タイム
5曲目 リリィ・シュシュ「飛べない翼」(14の歌)
私のもっとも愛する映画、「リリィ・シュシュのすべて」に登場する架空の歌姫・リリィ・シュシュによる劇中歌。
私はあの映画をドンピシャの14歳の時に見てしまったので、そりゃもうえげつないくらい影響受けたもんで・・・(笑)
実際、劇中の蓮見みたいにリリィのCDの入ったCDプレイヤー持ってイヤホンで聞きながらその辺の田舎道をウロウロしてた・・・あの映画の舞台の風景は、本当に地元の町とそっくりで私はそこにもひりつくような共感を覚えながら見ていた。本当に特別な映画。
14歳の頃、よくこの曲を泣きながら歌ってました。トイレとか、風呂とか、夜中の誰も居ない駐車場で。
「機嫌直して生きよう」自分に言い聞かせるよう歌ってました。
私は14歳の時が一番ピークで死にたかったんですけど、己を生かす為に歌っていた、そういう歌です。特別な一曲。
6曲目 RADWIMPS「愛し(かなし)」(彼女と私のうた)
昨年、「前前前世」で一躍脚光を浴びた(?)RADさん。私と彼等との出会いは2008年。高2の時でした。以下自分語り。
私には小学生の時から一方的に妬みを抱いていた一人の女生徒が居ました。彼女は明るく元気で、誰からも好かれる優等生であり、人の痛みの分かる人でした。私が欲しくて、でも手に入らないものを彼女は生まれながらにして全部持っていた。小学校は人数が少なくずっと同じクラスが続いたので、私は結局6年間ずっと嫉妬を抱えたまま卒業し、中学に入った後はクラスがバラけて、私はその後不登校になり、今に至るまで一度も再会した事はありません(私が徹底的に避けてる)
彼女の事を思い出すのは決まってなにか出来ない事や不都合な事にぶち当たって人生に挫折している時で、そういう時に「あぁなりたかった」「あんな風でありたかった」「あの人生が欲しかった」と思い出すのが彼女の存在でした。
もう何年も会ってないにも関わらず、私はずっと彼女がうらやましいままだったし、「あぁなりたかった」のに「あぁなれなかった」苦しみはちっとも消えてくれないままだった。5年くらいずっとぐちゃぐちゃ苦しんでいた時にたまたま動画サイトで聞いたのがこの曲でした。初めて聞いたRADWIMPS。まるで啓示のようでした。
歌詞が、ほんっとに、私が彼女に対して思っていた事そのままだった。
どこまでも人に優しくあろうとする彼女に対し、「何でそうなの?」「何でそこまで正しくあれるの?」「私は違うのに」って思い続けていた、それ。
私は知らず彼女の事を神格化して考えていた。「私とは違う」という思いはどこまでも彼女を高尚なものにしていき、また、自分自身を「彼女と比べて」低く低く扱うようになっていた。だからこのフレーズを聞いた時に、はっと目が覚めるような思いがしたのだ。
君はそう きっとそう
「自分より好きな人がいる自分」が好きなの
彼女がいつだって自分より他人を優先していた理由が、ただ「自分を好きになりたいから」だとしたら。
私が何よりも自身の夢を大事にしていたのも「自分を好きになりたいから」だった。私達はその点において、同じ考えをした同じ生きものだったのだ。そう気付く事が出来た。
実際は分からない。彼女がどこまでも自分より他人を優先していた理由が、道義心や心からの善意であったとしても、そんなのはどうだって良い。
でもきっと、「そういう自分が好きだから」という部分はきっとどこかにあったはずなので、私はなんかそれが嬉しくて、嬉しくて救われてしまったのだ。
私は彼女を神様か何かかと思い込んでいた。
でも実際はただの私と同じただのひとで、私と同じように、自分の為に他があったのだという事に気が付いてから、私の心はすっと楽になれた。それは本当に救いでした。
他人の事がよく見えすぎて、嫉妬心に苦しめられているという人は、一度その対象の事を神格化しすぎてはいないかという事を考えられると、いいなぁと思います。相手も自分と同じただの人!私と同じように弱くて狡くて浅ましいところがあるのだと思えるだけの余裕が生まれたら、少しは楽になれるんじゃないかと思います。
そういう人にも、おすすめの一曲だったりします。
まぁ、この曲をそういう風に聴いているのは私だけだと思うけど(笑)ごめんね洋二郎!ほんとうに個人的な話だ。。。
7曲目 奥華子「そんな気がした」(我が人生)
私の愛するメガネさんです。まぁ私もなんですけど(ダメガネ)
この曲はなんか本当に「私の人生~~~!」って感じです。
東日本大震災が起こった時、津波の映像に精神削られる中、ただひたすらこの曲だけを聞き狂い、歌いまくってた思い出があります・・・。
奥さんと言えば失恋ソング、それも重めの曲が多いと思いますが、その中でもこれが一番重くて暗くてしんどくて、私にぴったりで大好き。
自分の声に合ってるというか、歌ってて一番しっくりくる曲でもあります。
本当に歌詞がクソ重くて最高なのでぜひ聴いてください→そんな気がした 奥華子 - 歌詞タイム
人生に寄り添ってくれる大切な一曲。
またまたRADさん。
「めざせポケモンマスター」が私の夢のはじまりの曲だとしたら、「夢番地」は私にその夢をあきらめさせてくれた曲・・・そんな気がする。初めて聞いた時はぼろっぼろ泣いた。
「夢が叶わなかった」
「何も出来なかった」
「何一つとして叶えられなかった」
悔やみ、悔やみ、地の底まで着いた時、私が聴くのは決まってこの曲です。これを聞いて、どうにかこうにか浮上を目指すのです。いつも。
「僕はきっと今いつかの夢の上に立っているんだね」
「僕はきっと今誰かの夢の上に立っている」
「僕が立っているここはきっと誰かの願ってる場所で」
「誰かが立っている場所がきっと僕の望む場所で」
「誰かがきっと今僕にとっての夢を叶えてくれている」
「僕もきっと今誰かにとっての夢を叶えている」
「僕はもう数えきれぬほどの夢を叶えているんだね」
「ごめんね これからはね ずっとずっと一緒だから」
私は夢を叶えられなかった人だ。その夢は、今からどう頑張ったところで叶いっこない。私は夢が叶わなかった人間。私が願っていたその場所には別の誰かが居て、その人はそこで私の代わりに働いている。働いて、くれて、いる。
私は引きこもりで、(一応)障害者だ。
だから私は、健常で、働いている人が羨ましく、そして妬ましいのだけれど、中には私の人生こそを羨ましい、と思う者も居るのかも知れない。
私が今家で死んだように生息している事すら誰かの希望や夢であったりするのだ。そういう事を考える。人生の不思議を思う。そういう歌です、私にとって。
9曲目 DOES「know know know」(今を生きる)
昨年解散してしまったバンド、銀魂ファンはお馴染み・どえす兄さん。
10年前、初めて「修羅」を聞いた時のあの衝撃は一生忘れない。
本当に、世界一格好良い音を生み出していた人たちでした。
どこまでもひたすらに格好良い。
私の人生の目標のひとつに「今を生きる」というものがあるのだけど、この曲はそれを鼓舞してくれるのに最適であり最強。
「永遠なんていらない」「最高の今がある」である。私もそう思えるようになりてぇ、なりてぇよ・・・(泣きながら)
10曲目 ドビュッシー「月の光」(人生の最期に聞きたい曲)
はい、ラストです。
人生の最期に聴きたい一曲。
私には「夜に、月を見ながら死にたい」という漠然とした願望があって、その時に脳内に流れていて欲しい曲ですね。月の光に見守られながらこの世を去りたい。そういう願望。静かに死にたい。
というワケで、とりあえず10曲選んでみました。
いつまで人生が続くのかは分からないけど、今の私の、これまでの25年の人生における10曲はこんな感じです。ハイ。
人生の目標(のようなもの)
私には昔夢があったりやりたい事があったりしたけど、それはことごとく叶わなかったし出来なかったので、今人生における希望や目的ってのがほんとうに無い状態なんだけど、ひとつだけ今、人生の目標というか、生きる指針のようなものが生まれていて、それが「40歳で死にたい」というもの。
昨年、雨宮まみさんが40歳で亡くなった。
それからずっと、「私も40で死にてぇなぁ」と漠然と考えてたりする。
まみさんは私の3人居る文章における師匠の内の1人だった。
あとの二人は90年代のネットアイドル・南条あやさんと、もう一人は同世代の星・少年アヤちゃんさんなのですが。(Wあやである)
私が南条さんを知ったのは引きこもり出した13年前(2004年)の夏。私はその頃12歳で、そりゃもう凄まじい影響を受けたものでした。南条さんの真似して、ハンズに刃物探しに行ったり剃刀でうっすら手首カッターしたりね・・・まぁそんな深く切った事は一度も無かったです。出来んかったし。
当時のブログは完全に南条さんの文体で、それっていうのはつまり南条さんが使っていた時代(90年代後半)のネットの文章なんですよね。だから、(汗)とか(爆)とか(微笑)とか、そういうのを連発してました(笑)あと、自虐ツッコミと・・・。
南条さんの文章はどこまでも明るくおかしくて、そうしなければ自分の事を語れなかった彼女の痛みを12歳の私は自分の事のように感じていたのです。
南条さんは18歳で自殺した。
だから私にとって「18歳」というのはずっと「南条さんの死んだ年」で、その事は18歳になるまでも、実際に18歳を生きていた頃もずっと意識して考えていた。
そして死ねるもんなら今死にたい、と確かに思っていた。
私の希死念慮は10代の時が一番強かったけど、別に大人になった今だって普通にあるし、死ぬ事は常に頭のどっかにはあって、考えてる・・・。
「40で死にたい」というのは目標っつうか憧れだけど、
今のこれは10代の時、南条さんに憧れて彼女と同じ年に同じように死にたい、と漠然と考えていた時と全く同じな気がする。
私は何かずっとそんな感じです。
7度目の東京
東京に行って参りました。7回目でした。
今回の最大の目的は、池袋は老舗の名座・新文芸座劇場にて行われた、マグニフィセントな絶叫上映。ほんとこれ・・・最高だったのです。こうゆうのです↓↓
本当に・・・行けてよかった・・・・っ!
今回は実に充実してました。大体思ってた事は出来たかな。
東京一人で行くの4回目なんですけど、初めてホテルに泊まりました(笑)
思えば10代の頃・・・駅のトイレや、公園のベンチや、良くてネットカフェ。
ろくでもない所で寝泊まりしていたものでしたが(本当に何やってたんだ)
ついに自分でホテルを取り、宿泊するという人間じみた事が出来ましたよ。
一人で外食出来ない人間だけど、何とか出来たしね・・・頑張ったなと思う。えらい。
夜行バスに揺られ朝一で新宿につき、そっから築地に行ってすしざんまいで目当ての海鮮ちらしを食らい、六本木に向かい激混みのミュシャ展→からのヒルズでマーベル展!(これの為にHuluで必死こいてマーベル作品見倒した)→池袋に移動、ホテルに荷物置いてからの新文芸座、マグニフィセントセブン絶叫上映!
ミュシャ展は本当に混んでいましたが、朝一番で行ったからまだマシでしたね。帰る頃(昼頃)見たら、マジでどこまでも列が続いていて・・・。「ただいま140分待ち」という文字に、血の気が引いた・・・。恐るべし、ミュシャ。展示は本当に良かったです。
あとスカイツリーも行ったんですけど、やっぱり待ち時間が1時間以上と出ていたので、諦めて下から拝んで帰りました・・・また次回、リベンジしたい。
10代の時は上京する度上野と浅草に寄っていたんですけど、今回久々に浅草で降りて、懐かしかったですね。
やっぱり好きな街だな、と思いました。うん。
絶叫上映は人生2回目でした。
前回の時にクラッカー持って行ってなかったので、今回は反省も踏まえ8発のクラッカーを用意していました。本当は(タイトルにかけて)7発にしとこうかと思ったんですけども、あえて「荒野の8人目じゃ~!」とか抜かして(?)
上映前にスタッフ様が「クラッカーの持ち込み上限20発までとか言ってたけど、それじゃ足りねぇだろ!」つって客席にバンバンクラッカー投げて寄越してくれたので、結果、13発ブチかます事が出来ました。自分等が決めた上限なのに、「やっぱ足んねーなコレ」とクラッカー投げてくれる心意気。最高にマグニフィセントでした。
愛と誇りと情熱に満ちた、素晴らしい空間。
私は結局緘黙クソ野郎なので発声とか絶叫とかは難しいのですけれども、あの空間に居られる事が本当に嬉しかったです。
ありがとう新文芸座。ありがとうマグニフィセントセブン。
上映終了後の怒涛のプレゼント祭りにて、見事マカロニウエスタンDVD集が当たり、頂いて帰りました。本当はポスター狙いだったんだけど!でもほんとに嬉しかった。
非常に充実した旅を送れ、今回は満足出来たと思います。
初めて東京に行った14歳の時は、とにかく追い込まれていて、死に場所を求めて行ったようなものでしたが、
もう私にとって東京はただの首都、ただの街になってるんだなぁと思います。
自分が大人になったと感じる時は、そういう事に気が付く時です。
卵と穴子が異様に美味く、やはり東京は穴子の街なのだと再認識(?)
激混みのミュシャ展。早朝である。
ヒルズに佇むアイアンマンパイセン(でっかい)
最早神々しさすら感じる・・・(※劇場視聴6回目)
「どちらかと言えば守りたい!~イーサン・ホークと一夜を共に~」(最高のタイトル)(発案者に500000点あげたい)オールナイトも行きたい・・・行きたかった・・・うっ(行けない)
なんか思い出したこと
生前婆さんと喧嘩(大概罵られる)をしていた時。
差別用語での罵倒の他に、よく「お前の家だと思うなよ」とも脅されていた。
孫だから、仕方なく住まわせてやっているとのニュアンスだ。
うちは一体築何十年なのかさっぱり分からないが半世紀は過ぎているのは確実な古い一軒家なのだけど、祖母のその宣告(呪い)通り、「ここが自分の家である」という感覚が希薄に私は育った。
確かに生まれ育った家ではあるけど。
私にはずっと実感が無い。
単純に、あんまり好きじゃなかったというのも大きいのかな。古い、日本的な家屋(洋室が無い)私は幼少の折から洋風なもの(カントリーアンティーク)に焦がれておったし、同級生の素敵な家を訪れるにつれ、自分の家との違いに羨ましく思う事も、多々、あった。何より住んでいる人間がな。私には愛国心が無いけれど、家を愛せない理由はそれと同じなのだと思う。
昔。
やりたい事があったし、叶えられると思っていたいくつかの事があった。
その中のひとつ。最初の一歩であり、最大の関門であったのが、家を出て独り暮らしをする事…であった。これは、引きこもり出す前も、以降も、ずっと考えていた事で、私には叶って当然の目標であったと言える。本当に叶えられると思っていたからだ。
こんなところで終わりたくない、こんなところで死ぬわきゃいかない。
そしてこんなところで死ぬような人間じゃないと
私は確かに思っていた。
今。
一生ここに居続けるしかねぇのかなー、と思い始めている。ぼんやり。
13年、ずっと持ち続けていた「こんなところで終わりたくない」「終わるような人間じゃない」という、熱い気力のようなもの。なけなしの自尊心。
それが削がれて、削がれて、ついに無くなってしまったみたい。
生きていかれる気がしない。
おひさ
2017年が明けて実に4か月が過ぎたワケですが、本当に全然書かないですね。今年入ってから小説もさっぱり書けてません。ちまちまとは書いてるけど。朝方になり生活形態が変わった為、夜中にパソコン出来ないのが大きいですね(言い訳)
書きたい、書かなきゃなと思う気持ちは当然あるんですよ。
でもとにかくパソコンに向かうのがしんどい、しんどい。
向かっても、キーボード打つ気力が無くて、そのままズルズル・・・という感じ。
本当に書くのいやになったな。
日常、これと言って変わりありません。変わらずひきこもリンリン。今年で13年目です。
この期に及んで、すげー太りましたけど。悪化しかしない人生・・・。
姉の結婚話が進んでおります。ウケます。
「姉の婚約者」なるワードを平気で今使っている事に一人でウケてます。
絶対一生で使う事無いセリフだと思ってたから。
まぁ私が使う事も無いと思ってたんだけど(うーんん)
色々思うところありますが、相手方のご両親というのが、熱心な社会活動もされている方で、反安倍の思想を持っている・・・という点が非常に好感度が高く、語り合いてぇ~~~!って感じです。ミートゥーだよ!!
正直、本人(義兄になる人)には会いたくないけど、その親には会うのめっちゃ楽しみです(笑顔)へっへへ・・。
最近はなんかもう、ひたっすら映画見てますね。
去年からよく見るようになったんですけど(昨年は劇場で20本見る事が出来ました)、今年は憑りつかれたように見てる(?)
これでもかってくらい見てます。今映画館でやってるのも、往年の作品も、色々。色々。
特に、マグニフィセントなアレで、例によってわたくしもイーサン・ホークとイ・ビョンホンに魂を射貫かれたので(グディビリです)、両氏の出ている作品は全部見よう・・・と今している真っ最中~。ガタカはいいぞ。
今年のベストを訊かれたら、私の中では今んところは、「わたしはダニエル・ブレイク」
人間の権利と尊厳の戦い。涙無くしては見れません(久々に劇場で泣いたよ)
まぁそんな感じで、姉の結婚にウケて(ウケんな)、日常に病んで、映画に逃避して・・・って感じの日々ですね。
夏の銀魂(映画)、見るまで死ねねぇ~~~!って今年の初めまでは意気込んでたけど、最早忘れかけていて、ふとした時に思い出して、「あぁ、そういや映画、あったね・・・(やるんだったね・・)」って感じです。銀魂、というか自カプへの愛憎で死にそうです。
相変わらずツイッターでも馴染めなさすぎて、人を見ると病んで、界隈の人々への憎しみ募らせすぎて最早どうでもよくなってきましたね。
自カプへの愛はあるんだけど。
とにかく界隈に疲れ果ててるな。
まぁ、そんな感じです。
あ~、書けねぇ、書けねぇ・・・。唸りながら生きてます。しんどいす。
まみさん
「こじらせ女子」の生みの親である雨宮まみさんが亡くなった。
40歳という若さで。
昨日から、ずっと彼女の事を考えている。
私が雨宮さんを知ったのは、記憶の限りでは確か4年前。
2012年の春頃にツイッターを始めたのだが、色々見ていく内にフェミニズムに目覚め、その過程で少年アヤちゃん(当時はまだオカマの自称、『私』という一人称だった)や、田房永子さん。瀧波ユカリさん、能町みね子さん・・・と言った方々を知っていく中で、いつの間にやら、当然のように雨宮さんの存在も知るに至った。雨宮さんの、どこまでも優しい、真摯な言葉の数々。それがどれほどの深さで、自意識に雁字搦めになっている多くの日本の女性の心をそっと掬い上げ、振り解いてくれた事か。私はそれを、身をもって知っている。ずっと漠然と抱えていたモヤモヤを、言葉にしてはっきりと示してくれた人だからだ。
私は「女子をこじらせて」は持っていないし、読んだ事も無い。
「東京を生きる」も、東京に住んでいないので買ってないし特に興味も無い。
私が唯一所持している、雨宮さんの著書。
「女の子よ銃を持て」
WEB連載の頃から読んでいたのだけれど、もう、このタイトルに引き付けられ、それこそ撃たれるような衝撃を感じたものだった。
「『美しくなりたい』と思う気持ちは、私の中では『自由になりたい』と同義です」
この言葉を、私は一生魂に刻み込んで生きていこうと心に決めている。声に出して言ってみる。美しい言葉だと思う。
私にとって、雨宮さんは『代弁者』の女性の内の一人だった。
言いたい事や、感じている漠然としたモヤモヤ。
それらを言葉にする術を持たず、またその力も無い私にとって。多くの人にとって、そうだったはずだ。
雨宮さんの訃報を知り、最初に感じた事は「あぁ、人って死ぬんだな」だった。
当たり前の事だけれど、やっぱりいつも忘れている。忘れて、適当に時間に流れていく。
いつかお会いしてみたかった。
相談も、送ってみたら良かったな。
本当に、大切な人を亡くした。その感覚が消えません。
どこまでも生きづらさを抱えた女性の味方であってくれた人。
私も、忘れない。
ありがとうございました。また、どこかで。